
きょうは昭和の日だが
前日の朝に受け取った「新聞うずみ火(通巻235号)」で
ジャーナリストの鎌田慧さんが
「世相を斬る」を最終面に。
東京新聞の「本音のコラム」をいつも火曜日に読ませてもらっているが
よく取り上げてくれている「冤罪」について
じっくりと解説してくれた。

「冤罪」の「冤」は
兎(うさぎ)が門の外に出られない字義であるのだと。
「兎が自由を表しているのだろうか」と鎌田さん。
たしかに長い2つの耳を掴まれたら
簡単に逃げ出せないということなのかもしれない。
以前ブログで書いた通り
袴田巌さんは2024年9月に再審で
無罪が確定した。
しかし約半年後の2025年3月に
狭山事件の死刑囚だった
第3次再審請求中のことだった。
その後に妻の早智子さんが再審請求人となって
第4次の再審請求が。
鎌田さんは袴田巌さんと姉のふじ子さん、
そして石川さんの家族と何度も取材して
無実の罪に陥れられたという人生最大の不幸を
跳ね返すための闘争に人生を賭けた強さがあるという
共通点だけではなく
袴田さんは「ボクサー崩れ」
石川さんは被差別部落の出身という
差別的視線で見られていたことも。
「権力に迎合する差別がつくりだした犯罪だった」(上のカッコ内と同)。
さらに鎌田さんは文章の末尾で
「世論と司法が交互に
『兎』に対する憎しみを増殖させあい、
集団リンチの感情沸騰となり修正が効かない。
それが冤罪の解決を困難にする構図である」と。
警察が犯人を逮捕(いまでは確保というようになったが)、
その犯人を容疑者として起訴するのは検察。
容疑者を有罪か無罪かをジャッジして判決を出すのが
裁判所だが、
「裁判官は人間判断を間違っても、
批判をされることがない特権を持つ。」
大事件が起きた時には警察に
世間の期待が集まり、未解決は警察の失態とされて
厳しい批判と反感を受ける。
しかし逮捕された人物はまだ犯人と確定されないうちに
マスコミ(今じゃオールドメディア)は
いかに醜い悪人かと尾びれをつけて報道する。
ここからは私の意見だが、
もうここから「冤罪」が始まっていると思うのだ。
だから、
「警察も検察も少しくらいに逸脱があっても許される、
と知っている。
あるいは、犯人の憎悪をあおって、
手柄の評価を高めようとする。」
逮捕された人の人権なんて蔑ろ。
なにせ日本はいっぺん起訴されたら
有罪の確定率は9割以上だ。
その知られざるルーティンの中で
「悪い奴はやってつけろ」と
世論が沸騰する。まともな裁判なんかできなくなるはずだが
何の問題もないように進行して
冤罪が止まらない。
最近は逮捕されても「不起訴」になるケースが多くなったことや
性犯罪疑惑などでどうして裁かれないかという声も多くなったが
まず私たちが警察・検察・裁判所が
必ずしも正しい判断を下すとは限らないということを
推して知るべきではないかと思う。
あの立花孝志だって
「どうして逮捕されないんだ!」ということもあるが
司法も自らの仕事に慎重になっていることにも
注目しなければならないと思う。
もどかしい思いがするのもわかるけど。