高市早苗(決選投票まで進んだ)よりは
マシという程度で。
どっちにしても野党がしっかりしないと
政治が大きく変わらないということで。
それよりもきのうの東京新聞の1面より。
「袴田さんにおわびします」という
謝罪文だった。
全文をそのまま遺す。
犯人と断定する報道をしました。
袴田さんと家族の人権、
名誉を傷つけたことを
深くおわびいたします。
1966年8月17日夜、
静岡県警は強盗殺人容疑などで袴田さんの逮捕状を取り、
翌18日に逮捕しました。
本紙は同日夕刊で取り調べの段階から
『犯人はやっぱり『袴田』だった』
という見出しで報じました。
また、袴田さんは逮捕前から否認を続けましたが、
逮捕から20日目、2回目の勾留期限の3日前に
自供を始めたとされています。
本紙は66年9月7日付静岡版で
『ねばりの捜査にがい歌 袴田の仮面はぐ』
との見出しで記事を掲載しました。
逮捕段階では罪が確定していないのに、
袴田さんを『犯人』と報道した本紙にも、
冤罪を生んだ責任はあります。
本紙は現在、容疑者を犯人と決めつけない
『事件報道ガイドライン』を策定しています。
今後も予断や偏見を排した
冷静は報道を続けてまいります。」
きのう発売の日刊ゲンダイでは
毎日新聞も謝罪文を出したと報じ、
朝日新聞は当時の報道を振り返る記事を掲載して
袴田さんが容疑を否定していたにも関わらず、
記者たちは犯人と決めつけて取材していたと振り返ったと。
司法の責任が問われることは当然だが
マスコミも自らの報道に対する
無責任を総括して反省するのは当然だと思う。
もっともいまでは
マスコミを信用せず
自分と同じメディア(特にSNSやWEBなど)を
チョイスして見たり聞いたりして
それしか信用しないというのが普通になっている。
Colaboの仁藤夢乃氏が
特定のwebメディアに名誉毀損罪を受けて
つい先ほどその裁判に勝訴した例もある。
これから先もメディアの不当な思い込みによる
「冤罪」が多くなるかもしれないのだ。
犯罪報道に関する更なる「見直し」を
きちんと求めなけらばならない。
これが極めて重要なことだと思う。
(同じ日の読売新聞朝刊一面より。)