命(ぬち)かじりと守口豁(かつ)さんと

きょうは沖縄が日本に返還されて

50周年の日になる。

しかし、NHKの朝ドラ「ちむどんどん」の

視聴率を見ても、周囲の空気を見ても

ウクライナ情勢の悪化とコロナ禍の影響で

盛り上がりに欠けている。

私も今年は沖縄行きを断念した。申し訳ない。

そこで、

昨日は松戸「沖縄とつながろう!」実行委員会主催の映画「命かじり」の上映と

登場人物の森口豁さんと監督の永田浩三さんの

対談に参加した。


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松戸市民劇場で13時から16時過ぎまで。

とにかく濃厚な内容だった。


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(対談より。左に座っているのは永田浩三さん。

そして右側は森口豁さん。)

映画では琉球新報から

日本テレビ、そしてフリーになっても沖縄を報じ続けた、

森口さんが再び取材で出会った人々を

再訪するという内容だが

決して過去を振り返るのではなく

むしろ、本土のメディアが伝えない

いまの沖縄問題をさらにえぐり出している。

沖縄戦アメリカ統治時代、本土復帰闘争、

復帰後の本土との確執(沖縄国体の日の丸事件や)、

さらに高校時代からの親友だった

金城哲夫さん(ウルトラマンの脚本を手掛けた)のことなど

いまでも解決しないことばかり。

まさに現在進行形である。


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上の写真は伊平屋島で40年以上前に

森口さんか撮ったものだが、その後も

悪性リンパ腫と闘いながら

いまこの子たちはどうしているかと

消息を探すと、みんなが

沖縄本島に出て、さらに本土に出たのが

半分もいた。

生まれ育った島にずっといることが

出来ないという現実の中で

普天間辺野古、そして「琉球孤」と

安全保障体制につきあわされる重さを感じた。

永田さんとの対談ではこんな驚きの話があった。

本土復帰の日に森口さんは日本テレビ

報道部から普天間基地に過激派が殴り込みを

かけるからゲート前に貼り付けという指示を受けて、

深夜0時に復帰の瞬間を待ちながら警戒したが

全くそれがなく、逆に見たのは

米軍の高等弁務官を載せた輸送機が轟音を

響かせて離陸した姿だった。

「飛行機からの赤いランプがチカチカ光るのを

 雨空から見て、ああ本土に復帰するんだなぁと

 実感しましたよ。」

また、その後に読売新聞が専用機で南大東島

行くから同行しろと指示が出てついて行ったら

なんと読売新聞の記者が、日の丸の旗を取り出して地元のおばぁにそれを持たせて

写真を撮ってそのまま帰って行ったのだと。

これではサンゴをカメラで傷つけた朝日新聞と同じじゃないかと思ったが、

その時の森口さんは呆然として

カメラを出すこともフィルムを回すことも

出来なかったというから

なんともやりきれない。

もしもこれを撮ってたらねつ造記事で謝罪ものではないのか。


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(国会前でハンガーストライキを行った大学院生の元山仁士郎さんの写真を

永田さんか提供。)

きょうは日比谷公園から

銀座方面へ「ウチナーイクサバやナランドー(軍事基地は出ていけ!)」集会とデモが行われる。

沖縄の心に寄り添うことを

活動していきたい。もちろんいく予定です。

ちなみに森口さんは私と同じ町の人で

お父さんは地元で幼稚園を創立したのだという。

いったいどこだかと聞くことが出来なかったのは

残念です。


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