社会風刺をすることは
そのときにニュースを題材に使うことから
やがてその話題が忘れられてしまうと
それさえも何のことだかわからなくなる。
だから日記のように
その時のことを都々逸にすれば
あの頃のことを記録として残すことが出来る。
エネルギーなら
馬力でいこう
勝負の行くえは
風まかせ (アッキー)
きのう参加した
読売日テレ文化センター荻窪での
松崎菊也先生の世相を詠む「都々逸」。
上の自作の都々逸が褒められたあとに
この言葉をいただいた。
たしかにジャニー喜多川のことも
汚染水(処理水じゃないだろ)のことも
いつかは忘れられることになるかもしれない。
でも、都々逸が出来れば
権力のやっていることを
みんなで笑って楽しんでしまえという形で
その記憶が風化することがないかもしれない。
よくぞ言ったよ
農水大臣
本音はやっぱり
おすいせん(ア、ソウ。)
世相に対して
怒りを向けて批判を繰り広げることも
手段のひとつならば
笑ってしまえというのも
ひとつの手段。
菊也先生は「汚染水」「処理水」について
いったい本当に困っているのは誰だろうかということを
考えてみるから
都々逸をつくるヒントがうまれるということを
話してくれた。
野村農相のあの発言は
実は海洋放出の当事者である
東京電力の人じゃないかと。
政治に翻弄される廃炉とタンクの中の水の処理。
実はそれをじっくりと見つめると
そこに「笑い」をつくることができること。
処理はしたけど
やっぱりマズイ
水に流そう
汚染水
これは秀句だと菊也先生。
日本人は都合が悪くなると
「すべては水に流そう」
かっても大人たちが良く使っていた言葉。
それを使ったら
自由なコトバ遊びとして良いということで。
でも今は水に流すどころか
「炎上」ばかりが目立ちますよね。
こうなるとコトバ遊びも出来なくなってしまう。
都々逸を日記感覚で
コトバ遊びで歴史を残す。
これはいいヒントになりそうだ。
そこで教室が終わったあとに
千葉県八千代市の
臨済宗観音寺(高津山)に。
すでに慰霊祭が終っていて
2つの慰霊碑と
いま改修が予定されている
普化鐘楼に手を合わせて
お参りをした。
みんなで祈って
つくりましょうよ
対立分断
ない世界
お隣同士で
なぜ憎み合う
操り人形
もうやめよう
大きな国では
戦争起きない
家来にやらせる
戦争ごっこ
体がなまっちゃ
いけないけれど
お国訛りは
遺そうよ
差別虐殺
突然じゃない
見えないところに
理由あり