9月になっても猛暑は続いた。
直射日光はきつい。
それでも東京都墨田区両国の
横網町公園では
朝鮮人犠牲者追悼式典が
11時に同時に開催された。
慰霊堂の右となりにある
「朝鮮人犠牲者追悼碑」の前に設置されたテント周辺は
多くの人たちでごった返し
11時を前に中に入りづらい状況になった。
そして多くのメディアのカメラが
慰霊碑の方に向けられていた。
日朝協会の島岡まりさんの進行で、
宮川泰彦さん(実行委員長で日朝協会東京都連合会会長も)
そして石香 金順子(ソクヒャン キム・スンジャ)さんの
鎮魂の舞へと。
多くのカメラがあったため
撮影に手間取ったが、魂のこもった舞は
たとえ静かでも、
強さとそれ以上の優しさを感じた。
コロナ禍や仕事の都合で
生で見たのは4年ぶりになるが
最初に見たときの感動がそのまま再現された。
そんな感じだった。
後は国家責任を問う会や亀戸事件の追悼会の代表や
日本平和委員会の事務局次長からの追悼の辞、
また、作家で法政大学教授の中沢けいさんや
フォトジャーナリストの安田菜津紀さんのあいさつと
作家の中島京子さんからのメッセージ(代読)もあった。
(写真は安田菜津紀さん)
11時58分には慰霊堂からの鐘に合わせて
みんなで黙とうをささげた。
参加者からの声で最も多かったのは
朝鮮人虐殺の関する公的文書がないから
調査をすることができないと記者会見で発言した
「大嘘」への怒りだった。
「少なくとも、内閣府が事務局を務める中央防災会議に設置された「災害教訓の継承に関する専門調査会」は、2009年3月に取りまとめた関東大震災に関する報告書(1923 関東大震災 第2編)の中で、震災直後の殺傷事件で中心をなしたのは朝鮮人への迫害であり、流言がそのきっかけになった、と明記している。」(上のHP記事より抜粋)
これだけの記録があるのだから
国も東京都もこの事実について
きちんと調査をしてこの歴史的事実を明らかにしてほしいと。
その通りではないのか。
また、最後には韓国から来た
ご遺族の方も慰霊碑にお参りしたあとにこう語った。
「私のじいちゃんとひいじいちゃんは
出稼ぎで日本に来た。
しかし、震災のあとで行方不明になり
虐殺を受けたことをあとで知った。
1945年8月に独立したら帰ってくると信じていたが
それもかなわなかった。
のちに韓国政府は震災で270名もの人が
虐殺にあったと調査している。
この事実がほんとうならば
日本国政府はきちんと調査してほしい!」(発言を要約しました。)
この声はこれからの無視されようとしているのか。
絶対に許されないことだ。