千葉・八千代の関東大震災朝鮮人虐殺慰霊祭に参加する

きょうは自由な風合唱団のコンサートの日だが

昨日は千葉県八千代市の高津山観音寺で行われた

関東大震災99周年

朝鮮人犠牲者追悼・慰霊祭に行ってきた。

午前中に接骨院に行ってから

八千代台に移動してバス移動で会場に着いたので

午後2時の開始までに余裕が出来た。

そこで普化鐘楼という慰霊の鐘つき堂や

慰霊塔と慰霊碑を撮影して実行委員の方から

詳しく話を聞いた。

最初に建てられたのが普化鐘楼で

1985年(昭和60)に観音寺の近くで日本人が建てた

卒塔婆を見た韓国の劇作家の金義卿さんが

同胞の文化芸術、言論人に呼び掛けて募金をあつめてつくられた。

その後に2番目に建てられたのが

関東大震災韓国人犠牲者慰霊詩塔」

日韓の仏教関係者による寄贈ということで

その前には般若心経の金文字が入った

石片が置かれていた。

これはすごいと私以外の近くの人も

驚きながら見ていた。

そして3番目は1999年(平成11)に建立された

関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑だ。

慰霊祭はこの碑の前に焼香の台が置かれて

献花と読経と焼香の列が出来た。

なぜかというと、この犠牲者慰霊の碑には

陸軍習志野の収容所で虐殺されて

この寺の近くの「なぎの原」に埋められた遺骨を

1998年(平成10)に追悼・実行委員会の手で発掘されて

この碑の下で永眠についているからなのだ。

犠牲者を悼み慰めるための場所が

震災から70年以上経ってやっと出来たことになる。

ここまでに至るには

朝鮮人虐殺の歴史を風化させまいと証言や事実の掘り起こしに尽力した

民間の市民の力や八千代市高津区の地域の有志と

観音寺や萱田山長福寺などがひとつになって

活動を継続させてきた。

式典の最後で

崔有震さん(上の写真の左から2番目)から挨拶があり

いま来年の震災100周年を迎えて

東日本大震災の大地震でダメージを負った

普化鐘楼の補修するための募金を

韓国内で集めているとの話を聞き

胸が熱くなってきた。

どうしても日韓関係は謝罪を求めるという言葉が

当たり前になる中で

「この建物は韓国の原料と手法でなければ補修できない」との理由で

自国からの支援を拡大させることを選んだのだ。

この鐘つき堂にはハングルと日本語の「建立文」があった。

その中にあったことの一部を取り上げたい。

「(観音寺の2代の住職が犠牲者のために卒塔婆を建て

  市民グループが自国の恥部を掘り起こす作業をしたことで)

 いわゆる『朝鮮人虐殺』の噂の虚構性も、

 記録するのをはばかられる狂気の真相も、

 半世紀を過ぎて再び世の中に姿を現した。

 しかし、現代の韓国人はその暗い歴史を憎みはしても、

 今日の日本や日本人を咎めたくはない。

 むしろ歴史を正視し、その歴史の前に

 謙虚な日本の友人にありがたいとさえ思う。」

として、

「63年前(建立当時)の悲しい歴史を共に想い、

 その多くの犠牲者の痛みを共に分かち合い、

 今日の韓日(日韓)の相互理解と相互尊重を

 ともに誓おう」と結んでいるのだ。

最初に訪ねたときにはそこまで読まなかった

この素晴らしい「未来志向」。

安倍晋三さんは8年8か月の間に

それを踏みにじった。

それを知らない日本人が多いのは

残念を通り越して憤りさえ感じます。

shiraike.hatenablog.com

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