#関東大震災 もうひとつ #千葉 での虐殺( #検見川事件 #千葉県 #千葉市 )

1923年9月1日の関東大震災

多くの朝鮮人が虐殺された事実のなかで

まだ忘れてはいけないことを書いてなかった。

「検見川事件」である。

地震から4日後の5日午後1時頃、

当時の京成線検見川停留所(まだ鉄道ではなく軌道だった。)の

近くで若い朝鮮人ではない日本人男性3人が

数十人の自警団に針金で後ろ手に縛られ

200~300人に膨れ上がった群衆が取り巻くなかで

殴られたり罵声を浴びさせられたりしながら

「花見川橋」脇の派出所に引っ立てられた。

そこでは巡査が3人の身元証明書をかざしながら

群衆を説得したのにもかかわらず

その群衆の一部が派出所の戸を破り

ガラスを叩き割り、

3人を花見川橋の上に引きずり出し

日本刀や鳶口で殺害され

遺体は検見川に突き落とされた。


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写真は「新聞うずみ火」3月号の記事だが

編集部の栗原佳子さんがことしの3月10日に

「東京琉球館」が主催するフィールドワークに参加したことが

中心になっている。

案内したのは都内在住でこの事件の真相を調査してきた

島袋和幸さん。

「20km余りの道のりを命からがら避難し、

 たまたま同じ頃、

 検見川にさしかかった3人。

 (殺害された時は)

 顔までぐちゃぐちゃにされ、海の藻屑です。」

その3人の名前と出身地は

 

藤井金蔵さん(22)秋田県横手町(いまは市)

真弓次郎さん(21)三重県可芸郡

儀間次郎さん(22)沖縄県中城郡 

 

のちに真弓さんの実父が上京し

慰謝料請求の裁判を起こし

10人が逮捕されて最大で懲役3年の刑が確定されたが

島袋さんが調べたところでは

同年11月28日号に

その裁判のことが東京日日新聞(地方版)に載ったの最後に

「事件そのものが闇に消えた感があります。」

以前のブログにも書いた通り

内務省警保局長が地方の行政長官に宛てた電文がきっかけで

自警団が朝鮮人や中国人を警戒するようになり

武器まで与えて「殺してもよい」ということが

大量虐殺につながり

検見川で起きたのは

「言葉のなまりが違う」ことを理由に同胞同士で

殺傷沙汰を起こしている。

島袋さんは沖縄出身で

東京や関東での同郷者の足跡を取材したなかで

この事実を知るきっかけが出来たのだと。

当時の沖縄人は本土人から

よそ物扱いされて蔑視されていた歴史が

この事件からも垣間見えると話していた。

あまり語り伝えられていない理由として

当時この現場にいた群衆が

口をつぐんでいたこともある。

これからどのような形で向かいあうべきか。

この事件の碑はないが

いまの京成線検見川駅から旧千葉街道までの

路地。今度は自分で歩いてみたい。

shiraike.hatenablog.com

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