文書はあるじゃないか! #関東大震災 #朝鮮人虐殺 いまだに認めない #岸田政権


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1923年(大正12年)の関東大震災の時、

東京から埼玉へ、そして群馬へと多数の避難民が移動した。

そのときに当時の内務省警保局長が各地方長官(知事)宛てに

「不逞鮮人の取り締まり」の電文を送ったことがきっかけで

各地で朝鮮人の虐殺、それだけでなく

日本人であるにも関わらずデマやパニックによる殺人(福田村事件)も起きた。

埼玉県では熊谷で88人、上里町神保原)で42人も虐殺。

それのみならず埼玉から群馬へ移送されるはずだった

朝鮮人の引き継ぎを藤岡警察署(当時)がそれを拒否。

本庄警察署に戻る最中や戻ったところで襲撃されて犠牲を負った。

群馬県に送るにあたって藤岡署の間に了解をとりつけていなかった。」

それだけでも許し難いことだが

この事実を重くみた群馬側は

県境の神流川の砂利採取に従事した人、行商人

自ら助けを求めてきた人ら17人を

藤岡警察署に収容するも

自警団など2000人ものが警察署に押し寄せて

カギがかかっていなかった留置場に入り込み

全員が殺害された。

これが「藤岡事件」とと呼ばれる

虐殺である。

ここまでは「新聞うずみ火」昨年9月号で知ったが

さらに、いまの高崎市倉賀野町で駐在所に保護された男性が

自警団に連れ出され殺害された事件があった。

これが「倉賀野事件」というもので

あの群馬の森にあった追悼碑(いまは撤去)は

まさに事件の起きた場所に近いところにあったのだ。

そういうこともあってか

きのうの参議院内閣委員会で

立憲民主党の石垣のりこ議員が

倉賀野事件の判決の文書を取り上げて

朝鮮人虐殺の事実」に関する政府の認識を問うたのだが

なんと法務省の担当者も林芳正官房長官

判決の文書があったのは認めたが

「裁判所の事実認定が正しいかどうか評価する立場にはない」

という答弁しか出さなかった。

www.asahi.com

要するに政府が虐殺に関して

独自に調べるつもりは「全くない」と言ってるようなものだ。

その一方で政府内に記録が見当たらないとは

「裁判所は政府じゃないから」ということでごまかしたわけだ。

しかし内閣府が防災情報のHPに

2009年に刊行された

「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書

 1923関東大震災」の第2編の

第4章第2節に「殺傷事件の発生」として

その虐殺の概要が載っていることや

震災の2か月後に神奈川県が内務省(当時)に

朝鮮人虐殺の状況を報告したとみられる文書が見つかったこと。

すなわち政府や自治体に虐殺の事実を裏付ける文書が存在することを

岸田内閣は完全に無視しているのだ。

「政府内に文書があるじゃないか!」

いつまで言い続けなければならないのか。

調べたら内閣支持率がさらに減るからだとしたら

とんでもないことだと私はそう思う。

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