「平和の中の戦死」
先月26日の東京新聞朝刊「本音のコラム」で
翌日の27日は、
46年前の1977年に
RF-4BファントムIIが墜落した事故があった日だと書いている。
「2人の乗員はパラシュートで脱出したが、
被害に遭った民家の母子3人は全身大火傷(おおやけど)。
3歳の長男は『パパ、ママ、バイバイ』と他界。
次男は『鳩ぽっぽ』を歌って亡くなった。
母親は皮膚提供の善意を受け70回もの移植手術をしたが、
4年後に死亡した。」
この件については雑誌の記事や本などで私は知っている。
また当時の横浜市長で後に日本社会党(現・社民党)委員長になった
飛鳥田一雄氏が自伝「生々流転」で事故直後に
米軍側に飛行ルートの変更を申し入れたことを読んで知った。
鎌田氏は基地がある限り平時でも軍隊に殺される、
米軍基地の7割を押し付けられている沖縄の危険性は
想像を絶すると。
沖縄県が4日の期限までに対応しなかったとして
新たな危険性を沖縄に押し付ける姿勢は変わらないということだ。
前置きが長くなったが、だからこそ
渡辺芳邦市長に陸上自衛隊V22オスプレイの飛行中止を求める要請書を出し、
速達で郵送したということである。
(米軍にも申し入れることを求めている。)
ちなみにオスプレイは先月14日に鹿児島の奄美空港に2機が緊急着陸、
同16日には大分空港に1機が緊急着陸している。
無人戦闘機(ドローン)が主力となり
その供給が望まれている状況のなかで
日本だけがなぜこんなふうになっているのか。
台湾有事で本当に役に立つのか。
そうなる前に46年前の悪夢が繰り返すことがあってはならないのだ。