#坂本菜の花 さん いま地元で被災地支援( #石川県 #珠洲市 #珠洲 #沖縄戦 #珊瑚舎スコーレ )


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きのうの東京新聞夕刊一面で

沖縄テレビドキュメンタリー映画

「ちむりぐさ 菜の花の沖縄日記」で見た

坂本菜の花さんの近況があった。

shiraike.hatenablog.com

高校3年間を沖縄のフリースクール

「珊瑚舎スコーレ」で学び、

沖縄戦やおじい・おばあなどのさまざまな交流を行い、

卒業後は帰郷。映画の最後では

故郷でゴスペルのコンサートなどに参加をしていたのが

強く印象にのこっていた。菜の花さんの実家は

珠洲市の上戸町の実家は旅館を経営。

元日の地震があった時は台所あたりにいたそうだ。

詳しいことは思い出せないが

まきストーブが倒れて無我夢中で水をかけていたのは

覚えている。

無数の建物が倒壊して変わり果てた故郷の姿に

現実世界でないようで信じられず

まだ涙も出ていないと。

旅館の敷地内にある井戸を汲み上げる排水管を

住民たちとともに修理し、わずかに水が出てきた。

市内は断水が続いていたこともあり

被災地から住民を受け入れてきた。

足が悪くて避難所まで行けない人や

避難所での集団生活に疲れた人たちが身を寄せた。

この被災で珠洲から離れた人たちが

将来もどってくるかという不安がある。

菜の花さんは悲観的にならないように

「こんな時だからこそ、地元に残る人は

 本当に珠洲が好きな人だ。」と

自らに言い聞かせている。

中途半端な気持ちで向き合わずに

本気でどんなまちにしていくか、

景観を変えてしまう高い防潮堤よりも

高齢者でも高台へ逃げやすい避難路ができないか、

停電に備えて太陽光発電を進めたり

バイオトイレを取り入れられないかなど。

「元の姿に戻るだけが復興じゃない。

 大災害を経験したからこそ、

 持続可能な地域のあり方や

 能登らしさを考えていきたい。」

復興とは何かということは

東日本大震災などでも議論されてきたが

それが具体化されたケースは

自治体ごとにまちまちだったが

画一的なやり方よりも

住民たちの議論から生み出された独創的なやり方が

全国から注目を集めた例もある。

ぜひ珠洲市もそうやってもらいたいし

菜の花さんらふるさとに残る人の意見を最大限に

取り入れてもらいたい。

菜の花さんはもう24歳になったのだ。

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