福島第一原発事故を風化させないために 吉田千亜さんの場合

吉田千亜さん。

初めて知ったきっかけは

地元の東日本大震災松戸東北交流プロジェクト

「黄色いハンカチ」の総会で

様々な団体の活動パンフレットを見たときに、

埼玉県で自主避難者をサポートする

川越市のプロジェクトのを見た時に

その名前を見たことから。

しかし、私は吉田さんの著書を

まだ読んだことがない。

機会をつくってと思ったが

そのチャンスが全くなく、

ツイッターの書き込みで近況報告を見るだけに

とどまっている。

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12日付の東京新聞朝刊「こちら特報部」で

新春特集「己の道」の最終回で吉田さんが

震災・福島第一原発事故をテレビで見て

自分たちが住んでいる地域(埼玉県)まで

放射線物質の影響が及ぶことを懸念し、

そして地元に自主避難している人々に思いを馳せ

交流会などに参加することで

体や心の全てが追い詰められた被災者に向かいあうことで

初の著書「ルポ 母子避難 消されゆく原発事故避難者」

(2016年 岩波新書)を出した。

2年後には「その後の福島 原発事故後を生きる人々」

人文書院)で、コロナ禍で追い詰められている

東京五輪開催強行で行われた避難地域解除や

放射能のことは心配をしなくてもいい」とする

安倍政権の「刷り込み」を内容にした。

実はその頃から、ツィッタ―でも

吉田さんを攻撃するリプをたびたび

私も見ている。

自主避難者は勝手に福島から出ていったのだから

補償する必要はないという

ヘイトスピーチまがいの発言だ。

 

しかし昨年3冊目の著書

「孤塁 双葉郡消防士たちの3・11」(岩波書店)を

出して、これが

講談社本田靖春ノンフィクション賞、

日隅一雄・情報流通促進賞大賞と

JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞の三冠を

受賞したのだ。

 

あの事故の中で命を賭して

消防活動を行った関係者を1年2か月に渡って

66人もの取材を何度も重ねて

一冊にまとめたという。

なぜ自主避難者からこの方向に変えたのか?

それは事故がもたらした被害を

詳しく知りたいということからだと。

避難者からの話を聞くことだけでなく

あの時の消防士からも事故の時の

「記憶」を残すことで

政府の手で矮小化されていく

「被害」の具体像が見えてくると

吉田さんは感じ取ったのだ。

 

「どんな被害があったか記録しておかないと、

 被害がなかったことされかねない。

 実際とかけ離れた歴史が残るのが

 嫌なんです。」

 

自主避難者もあの時の消防士たちも

人知れず苦悩してきた歴史がある。

これを知ってもらうことで

書き残すこと、それを

手厚い支援につなげたいと。

 

今ではコロナ禍で

原発事故のことがまったく

クローズアップされていない。

「読売新聞」でさえも

津波からの避難や復興のことを取り上げても

この件は全く伝えないようにしている。

東京新聞原発事故当時の第一原発の状況の

 ドキュメントを連載している。)

吉田さんの仕事はまさに

「孤塁」そのものだ。

しかし多くの事故被災者は吉田さんの仕事に

救われているはずだ。

 

もっと私たちも

あの原発事故で苦しめられたのは

誰なのかということを

忘れずに向かい合い

そして「心から寄り添う」ことを

続けなければいけない。

そう思う。

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(吉田千亜さんはドキュメンタリー映画「ちむりぐさ 菜の花の沖縄日記」の

 平良いずみ監督のインタビューと堀潤さんとの対談をつとめている。

 福島だけでなく、沖縄の基地問題も私たちの命と暮らしにかかわる

 問題として考える材料を提供してくれているのだ。)
 

【大竹まこと×吉田千亜×辺見えみり】 追いつめられる原発事故被害者 - YouTube

書評『孤塁』吉田千亜著 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)