2024年の1月17日は
阪神淡路大震災で犠牲を負った人々の
鎮魂のみならず
元日に起きた石川・能登半島地震で被害を受けた
人々への鎮魂の祈りと重なってしまった。
きのうの東京新聞夕刊。
「ともに 1・17」
神戸市の東遊園地で文字が描かれる炎。
いつもなら「わすれない」だったのが
今年は能登の災害に心を寄せる意味もあるのかもしれない。
石川から避難してきた被災者も
この場所にいたそうだ。
記事の下には輪島市の中学校の生徒が
2次避難のために白山市へ集団避難が始まったということも。
復興への困難は29年前もいまでも同じだが
唯一の違いがある。
民間人レベルの助け合いと支援が
命を救い、守ったという一方で
政治家の対応の遅さや
ヘリを飛ばしているしか能のないマスコミの在り方が
大きな批判を浴びた。
それが防災や災害ボランティアの重要さを社会的に
認知させ普及へと広がっていったのだ。
大声で「逃げて」と叫んだこれも
防災と報道のあり方が議論されつづけたからだ。
それでは能登はどうなのか。
国土強靭化計画があったのにもかかわらず
半島部を結ぶ道路はあちこちで寸断され
輪島や奥能登への鉄道が廃止され
代わりに、さとやま自動車道という立派な道が出来たのに
東日本のときのように被害を受け
能登空港も使えないとは
5月に起きた地震からきちんとした
耐震化などの対策が十分になされなかったのに
政治家やマスコミへの批判は少ない。
(16日発売の日刊ゲンダイより。)
おまけに十分な災害ボランティアの派遣が
行き届いているかすらもわからないとは
まるで阪神淡路以前に戻ったようだ。
(同、17日発売分。)
もちろん半島部という地形のハンデや
港湾の隆起なども起きたということもあるだろうが
総理がやっと13日目に来ても((
批判が限定的なもので
なんだかDappi的なものが日本の世論を
また捻じ曲げているような感じがする。
それでも祈りと繋がりはこれからだ。
総理が来てから
何の役にも立たなかった政治屋が
次々と被災地へアリバイのごとく入り込もうとしているが
(山本太郎氏と杉尾秀哉氏は例外だ。)
それよりも多くの災害ボランティアを
被災地で活動できるようにしてもらいたい。
道路や水道と電気などのインフラがどこまで復旧されているかを
情報として流してくれればそれでよいのだ。
あとは団体ごとで判断するはずだ。
(社会福祉協議会も含めて)
最近ではこれにかこつけてコンパクトシティ論とかで
「能登半島は誰もいなくなっても仕方がない」という
連中も多くなった。(直接的ではないが)
こんな暴論を許さないためにも
スピード感ある復興で
官民あげての大きな取り組みが必要だ。