生まれは山梨県。国籍は日本。
1979年に「ウエブロ(韓国でヒットした・なぜ呼ぶのという意味」で
メジャーデビューしたときは、日本人の母の苗字で
「広瀬友いら季剛」と名乗ったが
翌年の韓国訪問を機に
韓国人の父の苗字「朴」に変える。
曲はヒットせず、事務所はさじを投げ
そこからはいばらの道。
1981年に丸木美術館でフリーコンサートを開き、
丸木位里・俊夫妻の出会いがきっかけで
連絡が来るようになった。
美術館で出会ったドイツ人アーティストから勧められて
1983年に渡米。約10年間
ストリートミュージシャンをしながら
いくつものバンドを組んで
ネ―ティブアメリカンの権利運動(AIM)や
ネバダの核実験場跡で平和コンサートにも参加。
9月3日に墨田区八広の
荒川河川敷で行われた
聴いた朴保(パク・ホではなくパク・ポーでした)さん。
あの時はロックを越えて様々なジャンルをアレンジさせた
魂の歌と演奏だったが
これまでの軌跡と
なぜテレビやラジオで流れることはないのかが
書かれていた。
反体制を歌うことは「あらがいの歌、ということですかね。」
「今の政治体制をいいと思って
音楽をやってるやつがいたらバカでしょう。
ロックは生き様、主張ですから
そもそも反体制です。でなきゃ意味がない。」
日本人は沈黙の大衆、マスクをしてスマホを見ることで
声を上げない習慣が身についた。
反体制だと生きにくいのはその通り。
でも黙っていても世の中は変わらないから
歌い続けるしかないと朴保さん。
「来年は憲法をやりますよ。」
「自民党が変えたいのは9条でしょ。
戦争を放棄した9条は宝。
とんでもない話です。
でも国民も、そのありがたさを感じなくなっている。」
これまで発表した曲に
「Constitution No.9」(憲法9条)
「人を殺すなんてまっぴらだ
自分も死ぬなんてとんでもない」
「そうやって騙されてきたんだぜ
いつまでそんな奴らに舵を取らせているんだ」
その思いにブレは一切なく
そして聞く人たちを奮い立たせ
「歌だけでは世の中は変わらないでしょう。
ただ誰かが何かを変えたいと思ったときに、
勇気を与えることならできると思う。」
作家の梁石日さんは
「60年代のボブ・ディランを思わせる
反権力的な意識を込めて歌うのは現在、
朴保をおいて他にはいない。」
もっとたくさんの人に知ってもらいたいのだが。