きのう「自由な風の歌」合唱団のメールで
原爆の図丸木美術館を紹介しているので
よかったらご覧くださいと書いてあったので
録画して(仕事の日だったから)見たが
「薄いな~」としか思えなかった。
確かに丸木位里・俊夫妻がなぜ原爆の図を描いたことや
第14部「からす」に込められた
さらに米兵捕虜のことも描かれた第13部は
実は絵に描かれていた女性捕虜はいなかったこと、
さらに高校生が実際にこの絵を見て
自分たちも原爆の図の展覧会を主催したという話などもあった。
そしてこれらの画と真逆のことが
広島で行われたり当時の報道でも
原爆に対する批判的なことを書かせないように
GHQからの検閲があったことも伝えている。
それでも私はこの内容に薄いと思ったのは
原爆の図と並べて見てほしい作品がなかったからだ。
実は私も丸木美術館まで行って原爆の図を見られるだけ見て
比較していたのがこれであった。
1948年に神奈川県に住んでいた時に
原爆の事実があまり知らされていないことを危惧した
丸木夫妻が第一部を1953年に始めて発表したが
1972年に「からす」を発表した後に
「はだしのゲン」の連載が開始している。
1982年に第15部「長崎」で原爆の図(長崎原爆資料館に所蔵)が
終っているが
まさに丸木夫妻から中沢啓治へと
「原爆投下許すまじ」の訴えが
リレーのバトンのように受け継がれたのだ。
しかし、はだしのゲンは一時期その描写内容に問題があるとして
一部の自治体の図書館から撤去されるという
言論弾圧といえる行為が起きている。
本来ならば原爆の図とはだしのゲンの双方を取り上げて
語りつがなければならない記憶と未来において
考えなければならないのに
なぜか原爆慰霊碑の落成の時と
広島平和祭の当時の写真があったとかをやっていたが
これも「はだしのゲン」でしっかりと書かれている。
しかも被爆者の視点だから説得力があるのだ。
なんでテレビ朝日はそれを忘れたのか。
どうしようもない。
こんな薄い戦争を振り返るやり方では
どんなに強く取り上げられても
見る側はあっという間に忘れてしまうことは必至だ。
ちなみに丸木美術館は
原爆の図を保存できる環境を整えるために
保存基金の寄付を呼び掛けている。
ぜひともご協力をお願いしたい、
このこともワイドスクランブルで取り上げてくれなかったのが
とても残念!