ryuchellを死に追い詰めたのは「世間一般」なんだよ!

千葉県松戸市議会議員の増田かおる氏は

ryuchell氏の突然の訃報に接して

「れいちぇる」と誤ったツィを行ったことに

ずいぶん非難の「クソリプ」があったと

いうWEB記事を見たが、

twitter.com

ryuchellを殺したのは

増田氏を非難した同一人物であると

私はそう感じている。

それはなぜか、

ryuchellという芸名に変わるまえからの

本名・比嘉龍二としての

さまざまな心と体の確執を

すべてではないが

だいたいのことを見てきたからだ。


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最初にテレビで姿を現したときは

まだ「りゅうちぇる」という

芸名というよりは、

原宿のファッション店のマヌカンとして

そう呼ばれていたという感じだった。

彼は芸能人ではなかったのだ。

おそらく放送・芸能関係者が

あまりにも面白いからというノリで

テレビで「晒しもの」にしたところから

始まったのではないか。

その店の常連客だったモデルのPekoと

いつも一緒だった彼の役どころは

「おバカっプル」として、

その場を明るくさせるだけの存在だったはずだ。

しかし、いつまでもおバカで

テレビに出られるほど世間一般の声は

そんなに甘くはない。

ましてPekoとの関係はいつまでも

カップルというままではいられないことも

よくわかっていたと思う。

だから「男のケジメ」をつけて

Pekoと結婚して家庭を作ろうをしたのかもしれない。

しかしそれは「比嘉龍二」としての

理想の幸せだったのだろうか?

まさにLGBTQ差別の根底にあることでは

ないだろうか?

もしも彼がテレビから声がかけられなかったら

Pekoとの付き合いも

もう少しフラットなものになっていたのではないか?

何より自分らしさをもっと大切にして

型にはまらない幸せを掴みとれることが

出来たのではなかったのだろうか?

結婚を祝福され一児の父になった以上

「りゅうちぇる」は死ぬまで

「父親」として「夫」として、生理上の「男」として

生き続けるしか道はないのだ。

そうでなければメシは食えないし

家族を養うこともできない。

それが「世間一般」というものなのだ。

それが離婚して

そういう生き方にこだわらない道を選べば

もはや「りゅうちぇる」として

芸能界の表街道を歩くことは

許されないことになった。

それは最近のテレビ番組を見れば明らかだ。

「りゅうちぇる」が表舞台から

放逐された後に出てきたのが

マツコ・デラックス」と「ミッツ・マングローブ」なのだから。

これは誰も否定することは出来ないのだ。

真面目に自分を頼りにする

すべての肉親のことを考えれば

この選択に後悔することも

たくさんあったと思う。

すべては家族の生活と自らの人生をかけた

アイデンティティの問題だから。

せめて誰でもいいから

「そういう生き方のあっていいんだよ。

 Pekoや子どもたちとの関係がなくならないなら

 それでもいいじゃないか!」と

誰かが強く説得していれば

死を選ぶことはなかっただろう。

ryuchellの事務所は個人事務所だったらしい。

芸能界で大きな支えがなかったことも

死因の一つになったのではないか?

死んでからそれを悔やんでも悼んでも

もう遅い。

みんなで彼の心に寄り添うことが出来なかったことを

永久に懺悔しよう。

そうしなければ同じことがまた繰り返される。

 

合掌。

 

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