それでも空襲被害者が補償されない理由

もうすぐ東京大空襲(下町空襲)があった

3月10日がやってくるが

世間の関心はガーシーや

ウクライナの戦乱がほとんどで

あとは東日本大震災福島第一原発事故から12年といった

新聞記事しか目立たない。

3月7日の東京新聞こちら特報部」では

名古屋空襲で被災した栗栖香苗さん(82歳)の体験を書いていた。

幼稚園の入園する直前の1945年3月25日に爆撃によって

左ひざに重傷を負い、十分な手当てができなかったことから

左足が「くの字」になったままで松葉づえがなければ

歩けない状態が子どもの頃から。

22歳でまっすぐにする手術を受けるも

骨髄症を発症して病院生活が長かった。

その後視覚障碍者の夫を結婚、

障碍者団体の役員を務めたり

オートマチック車の免許をとるなどをしていたが

右足の股関節がボロボロになり補装具をつけたり

70代後半になると頭痛がもとで

MRI検査を受けたら

頭蓋骨と一体化した

数ミリの針のようなものが見つかったのだと。

「爆弾の破片では。

 もうちょっと深かったら、生きてない」と

医師に言われたのだと。

現在でも歩行が困難で病院以外は外出が出来ないが

全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)を知り

入会をした。

「皆さんがこんなに頑張っているのに、

 政府は何もしない。

 犠牲者がいなくなるのを待っているのでは。」

と会報を読んで感じ、

「戦争さえなければ、足が悪くなかったら、

 どんな人生だったか。

 貧乏でも足が良ければ、駆けっこしたり、

 跳んだり跳ねたりできた。

 人並みの人生がおくれた。

 それが悔しいです。」

いま、民間の空襲被害者を救済する法案を

実現させる動きはある。

しかし超党派の国会議員連盟(議連)が

主体になっているのにもかかわず

その法案が提出されるまでには至っていない。

その一方で戦没者等の妻に対する特別給付金の期間を

延長する法案が提出されたのだと。

この件は3日に行われた空襲連の集会でも

話があって参加者をざわつかせた。

さらに国会で岸田首相が参議院予算委員会

舟山康江議員(議連のメンバー)の質問に対して

「(議連に)具体的な動きが見られない。」

と答弁した。

これには舟山議員も衝撃を受けたが私も同じだ。

「引き続き議連の動きを注視する」とも答弁したそうだが

まったく政府にやる気がないということだ。

被害者受忍論とか他のほうにも補償が及ぶ危険性とか言ってるが

あの時の戦争は軍人・軍属だけでなく

国民全体が戦争で戦わされた歴史の事実があるのでないか。

それを無視するのは許されないし

同じ現実に陥ったロシアやウクライナの動きを

止めることさえも、いまの日本には「出来ない」ということにもなる。

それでいいのか。

集会では空襲の被害を短い動画などで

流すことで若い世代にアピールすることも必要だとの

声もあった。

これは広島G7サミットを前に

やるべきであると思う。

素材はたくさんあるのだから。

shiraike.hatenablog.com

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