花形直平さん(埼玉・狭山市)の予科練体験の絵本を読む

17日の「オリーブ」お疲れ様会の参加者の一人だった。

93歳の花形直平さんが自身の戦争体験の絵本を

昨年に出したという話を聞いたので

アマゾンで購入して読んだ。

文芸社刊・1200円+税)

花形さんは1944年(昭和19年)の7月に

海軍予科練に入隊し、土浦(茨城県阿見町)海軍航空隊に配属された。

しかしすでに飛行機が無く、花形さんの「甲種十五期」では

人間魚雷と呼ばれた「海天」の訓練に往くことが

内々に伝えられたそうだ。

戦局悪化にともない戦力も武器も大きく不足し

残されたのは

「愚策の特攻作戦」しかなかったのである。

海軍側には「予科練は早く死ぬから」という思いやりがあった(?)のか

進級がおどろくほどはやく、上等兵になるまで10年かかるところが

半年でなれたという。だから花形さんも志願した15歳のうちに

下士官までなれたそうだ。

しかしその分、古参兵からいじめられる一因にもなった。

さらに体罰だらけの「罰直」が日常だったことも。

「当時の鬼畜の下士官達も今はもう100歳近くに

 なっているはずで、

 『お前さん達まだ生きているか、反省しているか』

 と声をかけてみたいです。」(本の文章より)

その後、近くの霞ケ浦海軍航空隊で

ゼロ戦などを守る基地強化作業の土木作業に駆り出され

「海軍のうまい宣伝に乗せられて

 単純な気持ちで志願したのに

 (予科練ならぬ)『ドカ練』では、

 天皇陛下や国のために命を懸けて戦う気持ちなど

 無くなるのは当然でした。」(同)

そして1945年(昭和20年)の6月10日、

土浦海軍航空隊はアメリカ軍のB29の爆撃を受けて壊滅。

花形さんは防空壕に逃げ込んで助かったが

壕の外にいた人はたくさん吹き飛ばされ、

壕に入っても奥にいた人も

土に埋まって絶命したそうだ。

花形さんは山梨のいまの甲斐市の生まれで

終戦後は故郷に戻った10年後に上京。

定年後にいまのさやま市民大学に入ったことで

趣味などの本を上梓するきっかけを持つことが

出来たそうだ。

「それにしても、戦争末期になって純真な少年達を特攻として

 死地に追いやった軍首脳の罪は重い。

 そんな愚かな指導者が起こした愚かな戦争で

 犠牲になった310万人もの兵士や民間人が

 哀れでなりません。」

この言葉を次の時代に残さなければならない。

そう強く感じた。

www.bungeisha.co.jp

shiraike.hatenablog.com