「あったか~い」府中・フリマ&朝鮮文化とふれあうつどい(3)

(ごめんなさい。おとといのブログのつづきです。)

今週のお題「あったか~い」ということで、

東京都府中市の朝鮮文化とふれあうつどいと

フリーマーケットで胃と心をあったかくした後に

見たのは在日朝鮮人一世の家族の肖像を

テーマにした写真展。

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府中公園の野外の円形ステージいっぱいに展示されていた。

戦前から戦後にかけて、

激動の歴史を生き抜いて家族を育んで

希望の花を咲かせたアボジ・オモニ・ハルモ二たちの

優しい笑顔がステージの中心に。

そしてその周りを様々な一世に関わる歴史の展示があった。

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調布市などの多摩川の河岸での砂利取り作業。

1920年頃から1958、59年頃まで行っていたそうだ。

砂利採掘の権利は日本人が持っていたのを

朝鮮人の親方の下で同じ在日一世が作業していたということで

河岸から掘った砂利を箕(み)や、ふるい、マンゴクで

選別して2.5~3cmくらいの石(大きくてもダメ)を

売っていたのだそうだ。

運搬は最初は平ポテという人力の車だったのが

戦後になってからダンプに替わったそうだが

その頃には規制が激しくなって多摩川の河床を

掘り下げるなどして高度経済成長期前の建設ラッシュ

の資材確保を支えてきたそうだ。

また府中刑務所の囚人たちもその作業をやっていたという証言も。

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こちらは八王子市の浅川地下壕の建設に

在日ー世が関わっていたことを表す資料。

当時の中島飛行機(スバルの前身)武蔵野製作所の

地下工場としてつくられた

全長10kmに及ぶ巨大な地下壕は

高尾山のふもとにあり、しかも

本格的な掘削工事は戦局が悪くなった

1944年(昭和19年)11月から

わずか1年たらずで壕が出来たとのことだが、

そこでも多くの一世たちが動員されたことは

ほとんど知られていないのだそうだ。

浅川地下壕 (fc2.com)

太平洋戦争末期 浅川地下壕秘話~高尾通信 (takaopress.net)

浅川地下壕の戦跡散策 (senseki-kikou.net)

在日一世の歴史をたどると、

強制連行などの言葉が出てくるが

あのユネスコ世界文化遺産になった「軍艦島」を除いては

いったいどこで働かされたは

詳しくは知らされていないことが多い。

その歴史の一端を垣間見た。

もちろんキムチの店を独立させた人や

新聞販売店などを営んだ人など

民族の絆とともに生きた一世の歴史を

じっくりと見ることが出来た。

このイベントを主催した「チマ・チョゴリ友の会」は

朝鮮学校に通う生徒児童たちが地域で安心して学べることを

目的として設立され、現在では裁判が起きている

朝鮮学校の公費支出の停止をやめさせる運動や後援も行っている。

松野 哲二さん(チマ・チョゴリ友の会代表、府中緊急派遣村共同代表)|府中市市民活動センター プラッツ (fuchu-platz.jp)

第184回西東京Web水曜行動【町田担当】 | ニョメン西東京ブログ<꽃수레・コッスレ> (ameblo.jp)

今年はコロナ禍で開催に至るまで

資金不足などで苦労したとのことで

出来るかぎりのカンパをしてきた。

(つづく)

朝鮮人動員の地を巡る。「詫間町香田海軍航空基地建設場跡」 | 愛媛現代朝鮮問題研究所 (ehimekorea.com)