芝居「歌わせたい男たち」と「自由な風の歌合唱団」

きのうの東京新聞特報面で取り上げていたのは、

学校の卒業式で君が代を強制された教師たちの

葛藤を描いたという演劇「歌わせたい男たち」が

来月、初演から17年にして

再々公演を行うことになったこと。

初演は2005年。二兎社によるもので

劇作家の永井愛さんが2003年の東京都教育委員会(都教委)による

「10・23通達」、さらに翌年にはそれによる

都立高校の教員が大量に処分された頃だ。

朝日と読売が主催する演劇賞の大賞を受賞し

2008年も再演されDVDも完売したそうだ。

私はまったくそのことを知らなかった。

しかし、このお芝居には知られざる縁があった。

劇中の人物のひとり、音楽講師「ミチル」

今公演ではキムラ緑子さんが演じるが

このモデルになったのが

私が参加している「自由な風の歌合唱団」の実行委員で

前述の通達によって4度の懲戒処分を受け、

君が代裁判」の原告のひとりになった

池田幹子さんだったのだ。

記事では稽古場を訪ねて、出番を待つ役者さんに

当時の心境を語り、それを熱心に聴いていたのが

山中崇さんと聞いて驚いた。

公演では不起立を貫く社会科教師「拝島先生」を演じる。

でも、私はテレビの「深夜食堂」などで

人気を集めたことを知ってるからだ。

山中さんは学生時代にニュースで少し知った程度だったが

台本は14年前とほぼ同じでも

当時といまでは人への届き方が変わってくると思うから

今の人々にいかに自分事と感じるように伝えられるかを

自分のテーマとして演じると。そして、

「権力とか権威とか、人はそちら側になびくと楽だけど、

 果たしてそれでいいのか、拝島役を演じながら

 日々考えさせられている。」

 

永井さんもまた君が代問題は

みんなもう終わった問題として

この作品をやることが

「季節外れって感じですか」と問い返し

学校の先生が苦しむことは何なのかと

改めて切り出し、

「解決したようになっている感じ」で

同じ構図の問題が繰り返されていると。

それが安倍晋三の「国葬」で

学校や公共施設における半旗掲揚を

めぐる問題だと。

文科省は(半旗掲揚に対する自治体の対応で)

 『分かりません、知りません』みたいな立場をとってるけど

 それが『場合によってはしっかり処分していいよ』

 というシグナルになっていないか」と

国のやり方をいぶかっていたのだ。

 

そして池田さんも

「戦争で大きな役割を果たした歌を

 自分の伴奏で生徒たちに歌わせることはできない。」

と演奏しなかった理由を言い、こう続けた。

「つまりこれって、その人が生きる上で

 大事にしているものは何かということ。

 それが組織の論理と衝突する。

 家、会社、大学のサークル、

 それぞれレベルが違っていても、

 ぎりぎりの二者択一を迫られることがある。

 あらゆる人がぶつかる問題です。」

 

いまでは学校の卒業式や公的行事(サッカー天皇杯決勝も)で

「日の丸・君が代」が当たり前になっているようだが

それはただ「みんながそうだから」という

同調圧力と「忖度」などで

「とにかく多数派になびけばいいんだ」とする

一つ間違えば危険な空気をみんなで作っている感じがする。

山中さんの言う通りだし、

永井さんはこの作品のあとに「ザ・空気」三部作で

それらを厳しく世に問うたあとに

この「歌わせたい男たち」を再び世に送る。

 

これまで池田さんなどから

「自由な風の歌合唱団」がなぜ結成されたのかを聞いた。

それは作曲家の林光(はやし・ひかる)先生が

池田さんをはじめとする原告の先生たちに

「(裁判で)苦しいからこそ歌うんだ」という

言葉がきっかけになったこと。

そして林先生も裁判で陳述書を作成するときに

力になったことも。

まさにこのお芝居も

「自由な風の歌」も同じ思いで

これからも対立や分断だらけのこの日本に

「これでいいのか」を

明るく楽しみながら

考えていくことを続けていく。

 

そういえばあの旧統一教会(家庭連合)は

憲法に基づく「信教の自由」を振り回しながら

個人の「内心の自由」を破壊させている。

そんな感じがしませんか。

その結果が家族や家庭を崩壊させているのだから

やっていることが憲法違反だと思いますが

いかがでしょうか?

 

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