お彼岸を3日過ぎた土曜日に

先週の話になります、先月26日。

まず松戸駅前の西口バス停にて。

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「元気な未来に向けて一緒に走りましょう!」

「マスク着用で周りに安心を

 手洗いで自分に安心を

 安全運転でお客様に安心を」

 

路線バスも「三密」対策に

気を使っている。

窓の一部を開けて換気を続けたり

運転席近くの座席を座らせないようにしたりと

とにかく頑張っていることが

乗るたびによくわかる。

車体自身もマスクをするような

メッセージを出している。

こちらもエールを送りたくなる。

「まだまだ苦しいけど、共に頑張ろう!」

 

この日は松戸で用事を済ませたあと、

少し遅れてお彼岸の墓参り。

春の時は強風に悩まされたが、

この日は雨がどうなるかわからなくて、

空を見つめながら、どしゃ降りになる前に

掃除をして、花を供えて

お線香をつける。

あの時と違って

点火台のろうそくは

ちゃんとしたのが付けられていた。

(春の時は小さかった)

おかげで手早く出来ることを

済ませることが出来た。

なにしろコロナ禍で

家族・親族みんながお墓まで行くことができないから。

 

それを終えてから東松戸で昼食をとり

山田うどん食堂・パンチ定食がおすすめ)

武蔵野線とバスを乗り継いで

船橋市の馬込霊園に。

なぜここに来たか。

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関東大震災在日朝鮮人犠牲慰霊碑があることを

知ったからだ。

6日に慰霊祭が行われたそうだが、

これまで県内は野田市の福田村事件の碑と

八千代市高津の観音寺しか知らなかった。

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この慰霊碑は1947年の3・1革命の日に竣工されたが

当時は同じ船橋市の本町にあったが

維持が困難になったので1963年の7月19日に

ここへ移葬されたと書いてある碑が左側にあった。

震災時のデマによる暴動で

多くの虐殺が起きた歴史の跡を

遺していくことは必要だ。

 

ただ、霊園内の案内版には

どこにあるのかが掲示されていなかったので、

あちこちを探し回り、

途中お手洗いを使って

20分くらい歩き回った挙句

正門からの通りをまっすぐ歩いてすぐ右側に

あることをやっと見つけた。

灯台下暗しといった感じだが

何とかならないだろうかと思う。

じつはこの慰霊碑の左にも

塔のようなのがあり、

後で調べたら

「法界慰霊塔」。

地元の仏教界が殺された朝鮮人を供養するために建てられた。

歴史を風化させないことを誓い、

静かに手を合わせた。

 

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