(沖縄)キャンプシュワブにも「遺骨」が眠っている

沖縄・名護市の辺野古地区は

「埋め立て」が大きな問題になっているが、

ここにある米軍「キャンプシュワブ」が

かって沖縄戦の後に

死から逃れた住民を収容した施設があったこと。

これはあまり知られていない。

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きのうの東京新聞こちら特報部」は

この歴史を証言取材などで明らかにしている。

 

沖縄市の森松長孝さん(87歳)。

1945年6月下旬に

辺野古沖の「大浦崎収容所」に入った。

地上戦が行われた時は祖父母とともに

本部町にいたが家は焼かれ

米兵に見つからないように身を潜め

先に捕虜になった母から「もう出てきても良い」と

伝えられたのがきっかけ。

原っぱにテントが付けられ

食料は1日におにぎり一つ。

いつも空腹で家のあった本部まで芋ほりをして

持ち帰った分を分け合ったが

女性や子どもが強制的に収容されたため

マラリアなどで病死、またレイプまで起きて

劣悪な環境だった。

その死者の数はキャンプシュワブの建設などで

まったく調査されず

死んだあとの遺骨も家のあった場所に

持ち帰れなかったこともあった。

いまでもその骨が基地の底で

眠っているかもしれないのだ。

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あの「ガマフヤー」の具志堅隆松さんは

大浦崎収容所の元入所者に伝わる小唄の一節

「恨みは深し四百の魂は眠る」に着目し

摩文仁の「平和の礎」に刻まれた

「大浦」での死者は約100人。

残った300人余が収容所で命を落としたのではと。

2016年には戦没者遺骨収集推進法で

遺骨収集は「国の責任」と定められたが

なんと大浦崎の跡地で1回だけ行われた以外は

米軍基地内で調査が行われたことがないと。

厚労省の担当者によると

知っている元入所者が「ここに埋葬した」という記憶を

たどるなどして具体的な情報に基づいて行うとしていたが

ここまでたどり着かなかったということだ。

 

「沖縄の精神文化は、自分の命が

 死んだ人によって生かされているという思いが強い。

 埋葬場所がいくつもあったはずで、

 ちゃんと調べずに放置しておくのは

 死者に対する冒瀆(ぼうとく)だ。」

(名護市教育委員会市史編さん係・川満彰さん)

 

しかし、いまは埋め立て工事を巡って

国と住民の対立が続くなかで

調査再開の動きがなく

さらに糸満市の南部戦跡からの土砂が埋め立てに

使われるかもしれないということで

ますます住民側の怒りが拡がっている。

 

本当ならばすべての遺骨を収集して

その霊を慰めるための努力を優先するのが

国の義務だ。

しかしアメリカにおもねり、

中国の脅威を利用して

このような人としてやらねばならないことを

国家の力で大きな蓋をかぶせようとするのは

絶対に許してはならない。

ちなみにわが地元の近くの習志野市(千葉)では

第一次世界大戦下の

ドイツ人捕虜の慰霊祭を2018年に実施している。

どうして沖縄はこんな風にいかないのだろうか。

 

敗戦国に対する仕打ちとして

許されることとは言えないでしょうに。

 

(お詫び)きのうのブログで

「万物津梁」と書きましたが

「万国津梁」の間違いでした。

訂正の上お詫び申し上げます。

大浦湾一帯の収容所 ~ マラリアと飢餓と一面の墓標 - 米海兵隊公式 HP がキャンプシュワブの沿革から大浦崎収容所を削除の件 - Battle of Okinawa (hatenablog.com)

シュワブ内に残る収容所跡、米軍意向で保存せず 施設建設予定地 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト (ryukyushimpo.jp)

「ガマフヤー」具志堅隆松さんの知らなかった発掘(沖縄戦) - shiraike’s blog (hatenablog.com)