今年はテレビで 沖縄全戦没者追悼式

ああ、

摩文仁の丘は雨が降っていた。

昨年も朝は雨が降っていた、6月23日。

その前日は激しい雨の中、辺野古のキャンプシュワブ前や

琉球セメントの工場と桟橋を結ぶ道にあるバス停に佇んで

埋め立て工事が進む事実を見つめながらも

あわや風邪をひくところだった。

傘をさしても全身ずぶ濡れだったから。

しかしその翌日になると

必ずといっていいほど

戦没者慰霊式に近づくころには

雨がやみ、光が差してくる。

あの日も暑く日差しがきつかったのだろうか。

そう思わせる慰霊の日。

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(これは去年の写真です)

しかし、今年は式典が始まっても

雨は降り続いたまま。

コロナ禍ばかりではない

地上戦で犠牲になった「英霊」ではない

「犠牲者」たちの悲しみ、そして怒りと嘆きの

雨そのものだ。

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(NHKテレビの映像より)

玉城デニー知事の「平和宣言」

そして宮古島市立西辺中学校2年の

上原美春さんによる「平和の詩」。

これらを聞いて初めて知ったうちなーぐち(沖縄方言)、

「みるく世(ゆー)」。

平和な世界を意味する言葉だった。

 

平和であることが当たり前なら

この言葉を使うことは少ない。

むしろ「ない」という方が一番良い。

しかしこの言葉を使ったことは

ウチナンチュ(沖縄人)は私を含むヤマトンチュ(本土の人間)よりも

国際情勢の激変で

いつ自分たちが76年前のあの時のように

平和が脅かされることを

強く感じている。

むしろ私たちが鈍感になっていないかということである。

 

もちろん防衛力の強化と日米安保体制の充実で

脅威を振り払おうとする考えもあるが

琉球・沖縄はこの日も

そのやり方を拒絶した。

「チムグクル」「万物津梁」

最後は対話と強調こそが平和へ導く

最良の道であり

それが地上戦で失われた命の思いに応えることだと

訴え、誓った。

 

「みるく世ぬなうらば世や直れ」

宮古島民謡・豊年の歌の一節より)

 

上原さんが朗読の中で唄った。

そして「平和は自分の手でつくるのだ」と。

 

沖縄の誓いは日本の誓い。

はっきりとそう言える日が来るまで

さらに歴史と事実に目を向けていこう。

決してその記憶を風化させないために。

玉城知事「戦争体験、後世に語り継ぐ」 沖縄・慰霊の日:朝日新聞デジタル (asahi.com)

沖縄・辺野古ハンストに賛同の声 都内で支持者らが集会 地方議員らは防衛省などに要望書提出:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

「みるく世を創るのは私たち」 追悼式典で平和の詩を朗読した中学生が決意 沖縄慰霊の日      - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト (ryukyushimpo.jp)