「ガマフヤー」具志堅隆松さんの知らなかった発掘(沖縄戦)

毎年、慰霊の日に合わせて

沖縄に行った。

今年はコロナウイルスの緊急事態宣言の影響で

見合わせることになった。

残念なことだ。

 

19日のTBSテレビ「報道特集」では

このブログで書き続けている

具志堅隆松さんのことを取り上げていた。

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いままで「ガフマヤー」と誤って書いた。

正確にはガマ(壕)を掘り続ける人として

「ガマフヤー」だった。

この場を借りて訂正、お詫びしたい。

申し訳ありませんでした。

 

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糸満市などの南部戦跡の遺骨収集を現在も続けて

ここからの土砂を辺野古埋め立てに反対する具志堅さんは

それ以外にも知らなければいけない

重要な仕事をしている。

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シュガーローフヒル

那覇市おもろまち地区のモノレール駅に近い丘に

激戦地の戦跡がある。

戦後ここはずっと米軍用地だったのは

返還されて都市開発が進められたときに

多くの遺骨が出てきたことを知った具志堅さんは

沖縄県に工事をする前に

遺骨収集を優先すべきだと電話で要望したそうだが

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結果的にその丘は削られて工事は進められるところを

なんとかストップさせて

厚労省の失業対策事業に組み込んでもらって

遺骨収集を行うことが出来たのだ。

2009年10月のことだった。

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(作業員に遺骨に関する説明を行う当時の具志堅さん。)

この作業が行われた後に開発事業が進行して

丘は削られたが、

その近くの「蛸壺豪」で具志堅さんは

大きな発見をした。

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ほぼ全身を遺した

何かにしがみつきながら

死んだ遺骨。頭蓋骨には機銃掃射によって撃ち抜かれた痕があった。

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沖縄戦の体験者から話を聞いたが

弾丸の数は日本軍が1ならば米軍は100以上もあった。

しかも敵が近づくまで決して撃ってはならないと教えられたと。

そんなオーバーなと具志堅さんはそう思ったが

この遺骨を見て話しに嘘はなかったと思ったそうだ。

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何度も訪ねた魂魄の塔、

当時の米軍から禁じられていた慰霊を

生き延びた住民たちが「道徳」に基づいて

造られたのにもかかわらず

当時の本土のマスコミは

「遺骨は野ざらしにされている」と報じた。

これに沖縄の人々とマスコミは反発した。

その声を受けて政府は調査団を送り

ざらしは違うことを確かめた。

 

「遺骨を恐れず遺骨を畏れる。」

報告書に書かれた文章の一部だ。

しかし、多くの沖縄戦の犠牲者は

住民がすべてにおいて差別することなく

弔われているのに

その遺骨が遺族に戻ってきた例は

極めて少ないことも

本土の人間は知らない。

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北海道の日高から出征して生還した

濱本俊則さん。右足を撃ち抜かれながらも

逃げ続けた跡には

民間人も軍人もない、ただ死体が山のように積み重なっていた。

まさに「人の垣」だったと。

いまでも脳裏に焼き付いていると。

グループで移動して2度も攻撃を受けて

仲間を一瞬にして失ったこともあった。

「人間なんかひとりぼっち、虫けら。」

右へ左へと動かされて

最終的にはお前らの命もらうぞ、

死んでも知らんぷりでしょと。

だから辺野古の件も国に文句をいっても

しょうがないと。

その一方で他の遺族の一人が

具志堅さんとともに国との交渉(4月)で

戦没者の遺骨は国のものではありません!

 私たち遺族と戦没者自身のものです!」

と訴えた人もいる(米本わか子さん)。

 

みんな生き続けるために

軍人や民間人の関係なく

沖縄の大地を逃げ続けた。

しかし日本軍は本土決戦を遅らせるために

その多くの命を犠牲にした。

この歴史が風化されて消え去ろうとしている。

これから先、

もっと沖縄戦の歴史を知ることを

深めていかなければならない。

そう感じずにいられなかった。

 

慶良間チージ(シュガーローフ) : 那覇市歴史博物館 (city.naha.okinawa.jp)

翁長助静氏の足跡を訪ねて~魂魄の塔 (ayirom-uji-2016.com)

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