ハンセン病特別法廷 「違憲」判断に僅かな希望を見る

きのうの東京新聞の1面は

政府による無責任な自粛要請で

大きなイベントの中止・延期が相次いでいるという

記事が目立っているが

私が注目したのは左のほうの

ハンセン病特別法廷『違憲』」

熊本地裁 初判断『人格権侵害』」

の記事である。

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1950年代にハンセン病患者として療養所入りを勧告された男性が

熊本の村の元職員を殺害した事件(菊池事件)で

その法廷が療養所(菊池恵楓園)に設けられた

特別法廷で行われたことについて

その男性(1962年に死刑執行)の再審請求を認めないことは

違憲だとして争われた裁判だが

熊本地方裁判所(地裁)は

特別法廷の審理はハンセン病患者であることを

理由にした「不合理な差別」と判断。(憲法13・14条違反)

さらにその法廷は裁判公開の原則にも違反した

疑いもあると。(憲法37・82条)

ただ再審請求については

刑事事件の事実認定に影響しないことを理由に

退けられた。

しかし、

「びっくりした。弁護士として望みうる最高の判決だ。」と

以前このブログでも紹介した徳田靖之弁護士

(原告弁護団の共同代表)は高く評価したのだった。

この特別法廷では療養所の中に法廷のようなものをつくって

裁判官も検察官も弁護人も

「予防衣」と呼ばれる白衣を着用。

証拠品はゴム手袋を着用して箸でつかんで示したことで

まさにハンセン病に対する偏見を煽る行為そのものだが、

ハンセン病の病原菌は新型コロナウイルスの感染力に比べれば

 はるかに弱いし、空気感染もしない。)

最高裁が謝罪したのは「らい予防法」が廃止された後の

2016年4月だったが、

「具体的な状況がわからない」として

違憲性の言及を避けてきたのだそうだ。

特別法廷は1948~72年までに95件行われたが、

最高裁が差別的な取り扱いがあったと認めたのは

1960年以降の27件のみ。

菊池事件はそれ以前のことだったことから

最高裁は逃げたから裁判を起こした」というわけだ。

今回の判決に向かわせたのは

らい予防法の国家賠償請求訴訟で熊本地裁

国が全面敗訴したころからの流れが

行政側による補償や退所者の生活支援、

さらに第三者機関による

検証会議によって数々の人権侵害が明るみになったこと、

そして「ハンセン病問題基本法」の施行による

人権回復へ向けた動きが拡大したことが

追い風になった。

「再審無罪を勝ち取るという最終目的を

 達成する上で大きな画期的な一歩となった。」

(前述・徳田氏)

いまでは考えられない

感染症患者のための裁判を

医療施設の中で行われたのは

「当時の医学では仕方がないだろう」という見方があったそうだ。

しかし判決では1960年代の医学的見地からしても

「(ハンセン病は)隔離を必要とする病気ではない」のに

こんなひどい裁判が行われてしまったわけだ。

そして現代のいま、

もしも新型コロナウイルスの感染者が

殺人などの疑いで逮捕・起訴されたとき

果たして「特別法廷」は復活するであろうか。

人権上許されないことだが、

それでも「感染拡大」を阻止させるのならば

法廷をどうすることになるのか。

この判決は決して過去の話で聞き流してはいけない。

どんな人間であっても裁判を受ける権利があるし

きちんとした法廷で受けることに

最善を尽くすべきなのだ。

例外を設けるとすれば

「感染力」の確定と「感染者である被告人」の症状が

どうなっているかを見極めることではないのか。

菊池事件では、

被告人は無罪であると同時に

自分はハンセン病患者ではないと訴えたかったのだ。

同じことが新型コロナウイルスで出ないとは

限らないのだ。

まさに誤解による偏見と差別に

一矢を報いた判決なのだ。

もう二度と「特別法廷」を復活させてはいけないのだ。

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