津久井やまゆり園事件初公判 植松聖(さとし)被告の奇行に思うこと

裁判長から起訴状と違うところはないかを

尋ねられ、淡々とした口調で

「ありません」。

その後弁護側が責任能力を争う意見を述べた後に

裁判長から追加発言の許可を求めて

「簡潔であれば」と認めると

「皆さまに深くおわびします」と立ったまま謝罪。

その後に

突然、口元に手をやり、

右手の小指をかみ切るようなしぐさをした。

うめき声のような寄声を発した

本人を刑務官4人が押さえ込み

体を床に倒されても

抵抗するように暴れ続けていた。

f:id:shiraike:20200109233448j:plain

これが津久井相模原市)やまゆり園事件初公判で

植松聖(さとし)被告が開廷からわずか10分で退廷して

法廷を騒然とさせた顛末である。

(1月8日・横浜地裁101号法廷・午前11時25分頃に開廷)

ここまでは9日付「読売新聞」の紙面をなぞって書いたが

あの奇行には被害者遺族から

心神喪失心神耗弱をアピールする

 パフォーマンスだ」の声があり

園長からも「何と浅はかで愚かなんだと思った」という

コメントもあった。

しかし、私は「うつ病」を患った人間として思ったのは、

植松被告は自己を破壊させまいとして

その思いつめた状態から、

自分自身に重いもよらない

精神的な病状が新たに起きてしまって

事態の収拾が測れなくなったのではないかと。

そう感じざるを得なかった。

 

口先だけの謝罪なら

簡単に言える。

これも自己防衛だと意識していれば

精神的負担はかからない。

(当然、反省する心はない)

しかし、その後に

自分が起こしてしまったことが

いかに残酷で後戻りが出来ないことが

心身ともに強く感じるようになれば

もう冷静になれない。

自己をコントロールできず

あとは自らを破壊する行為まで

追い詰めなければ止められない。

あの川崎のバス停襲撃事件も

京アニの事件も

犯行を起こした側は

最後に自分を破壊させて終わりにしようとしただろうか。

私はそうとは思わない。

事件を起こしたその後に

初めて現実の中にいる自分の

狂暴・凶悪性を感じて

初めて自己破壊を選択しようとしたのではないか。

植松被告は

留置中に知的障害を家族に持つ

新聞記者などとの対話をして来たようだが、

自分の知的障害者に関する意見の正当性と

事件を起こしたことへの「後悔」とで

揺れ動いていたようだ。

ひょっとしたら

この裁判の場でやっと

「後悔」と「申し訳なさ」が

心の奥底から噴出したのではないだろうか。

だからこそ、

傍聴した誰もが憤りをあらわにする行為を

やっても

本当なら「あっても不思議はない」と

いうところだが、

 

 

家族を失った遺族からすれば

本人の口からなぜこんなことをしたのかを

聞きたかったはずだ。

このもどかしさを

埋めることがこれからの

審理の中で出てくるのだろうか。

 

判決は3月16日に言い渡される。

www.tokyo-np.co.jp

www.tokyo-np.co.jp