ドラマで最初に見たのは
「池中玄太80キロ」だった。
でも西田敏行を初めてテレビで見たのは
「みごろ!食べごろ!笑いごろ」だった。
テレビ朝日系で月曜の夜にやっていた。
「おかあたま!」などの絡み合いと
電線マンの電線音頭が大ブームになり
キャンディーズもレギュラーで
コントに挑戦したことが話題を呼んだが
西田さんは加山雄三さんの若大将の向こうを張って
「カバ大将」で笑わせてくれた。
それからかなりの年月が過ぎて
池中玄太だった。
俳優としてもタレントとしても
そして「もしもピアノが弾けたなら」で
歌手としても縦横無尽に。
私を含む視聴者に自ら距離を近づけてくれた。
残念だったのはTBSラジオで
「パックインミュージック」を聞くことは出来なかったこと。
まだ私は中学校に入る前のことだったから。
そしてもうひとつ。ダチョウ俱楽部の上島竜兵さんが
西田さんの物まねをやったことがきっかけで
ドラマでの共演が本当に実現したことだった。
それも兄弟関係の役どころで。
芸能界(当時の)ではありえないことが
ものまねされて笑い者にされた側が「許した」ことで
これも大きな話題に。
亡くなった当日の仕事の予定が入っていた。
まさに誰もが理想とする
「生涯現役」を貫いた。
きのう朝のニッポン放送「上柳昌彦あさぼらけ」では
リクエストに応えて
TBS系の金10ドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」が
流された。
器用さや発声のうまさよりも
しみじみ朴訥の声が持ち味だった。
エンディング「応援しまーす!」が二度と聴けなくなるのが
寂しい。
ご冥福をお祈り申し上げます。
最後に帰り道で
津田沼駅前での千葉14区・坂井ようすけ候補の街頭演説。


本人は街宣カーの上で訴えなかったのは
雨の影響とはいえ残念だった。
車の中から演説していたのは
1期だけ衆議院議員だったときに
「特別支援学校では(教室不足のために)廊下で授業をしている」と
当時の文部科学大臣に質疑したことで
柏の学校へ視察してくれたこと。
それで学校関係の予算が増えたことを話した。
ちなみに日刊ゲンダイ(今日付)では
「一度も地元に入らなくても野田(佳彦・立憲民主党代表)は
強い」と。
戦いはあきらめない。
それしかない。