「 #ぞうれっしゃがやってきた 」の絵本( #松戸市 #はるかぜ #合唱 #名古屋市 #東山動物園 #上野動物園 )

東葛市民合唱団「はるかぜ」の練習が行われた先月の28日、

その前に2つのプレゼントをもらった。

一つ目は「ぞうれっしゃがやってきた」の作曲者

藤村記一郎先生のサイン(コピー)。


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そしてもう一つは

小さな絵本。

名古屋・東山動物園の戦争中の物語。

75年以上前のこと。

もとはサーカスの人気者だった

アドン・エルド・マカニ―・キーコの

4頭のぞうたち。(サーカスのうた)

戦争が激しくなったことで

当時の園長の頼みを受けて

東山動物園に4頭は売られた。

そのときのぞうつかいの娘たちの悲しみが

「ぞうを売らないで」「雪よふるな」の歌にある。

4頭はサーカスで得意にしていた曲芸で

動物園でも人気者になったが

ますます戦争で食べ物が少なくなって

各地の動物園で次々と動物たちが殺された。(動物を殺せ)

28日の練習では「悲しみの日」の歌で

「むねの輪を撃てばかんたんだ クマを立たせろ!」という

セリフの練習を男声のみやってみたが

「みなさん、こういう時になると優しいですね。」

ちっとも恐ろしいように聞こえなかったと

指揮・指導の酒井崇先生。

こういうのをやるというのは意外に難しいものだ。

戦争が終わり、4頭のうち生き残ったのは

カニ―とエルド。あの上野動物園のジョンとトンキーと同じように

アドンとキーコは死んだが

東山動物園の人たちはえさを探し続け

軍や警察にかけあって殺すのをやめてくれと頼んだことも。

(いくさの終わる日まで)

その後、東京の子ども議会では

動物園に動物がいないことが議題になり

動物はみんな殺されたが

名古屋の動物園にぞうが生きていることを知り(ほんもののぞうが見たい)

東山動物園の園長に貸してくださいと手紙を書いたが

ぞうはとても弱っていて旅をすることが出来ないと

断られた。(ぞうを貸してください)

しかし、子どもたちの願いをかなえるために

全国から名古屋へ向けて

「ぞうれっしゃ」を走らせることになった。(ぞうれっしゃよはしれ)

そして、もっと多くのぞうを見たい子どもたちが

インドに手紙を書いた。

それに応えてやってきたのが

上野動物園の「インディラ」だったのだ。

(平和とぞうと子どもたち

 ~メッセージ~ぞうさん こい!)

この話はわずかにしか聞いたことがないので

じっくりとその内容を知ることが出来て良かった。

いまではこのような話を語り伝えることが少なくなった。

だからこそ唄の輪を広げることが大切なのだ。

この音楽劇の初演は1986年。

ポスターは手塚治虫さんが手がけた。

(練習のときに見せてもらった)

感動と熱気は国内から海外へも。

そして今年は、私もその輪のなかに。


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(絵本の最後にはおまけのぞうのはなしもイラストつきで)

www.youtube.com

shiraike.hatenablog.com