#中国 で生涯を閉じた元 #従軍慰安婦 の記録を遺す 班忠義さんの選択と行動


以前にカメラマンの安世鴻(アン・セホン)さんの

写真展「重重」が右翼などの圧力を受けて

会場を管理するニコンが突然中止にしたのは

不法だとして安さん側が起こした裁判の最中に

もう一人、中国人の従軍慰安婦の生活支援を行いながら

その歴史を遺そうと活動している映画監督の名を知った。

その人が班忠義(ハン・チュウギ)さんだった。


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shiraike.hatenablog.com

その班さんが28年に渡って活動を続けてきた

「中国人元『慰安婦』を支援する会」が先月末に活動を終えたことを

18日の東京新聞朝刊「こちら特報部」で知った。

昨年末に日本軍から性暴力を受けた被害女性が

亡くなったことで支援する側の人が「ゼロ」になったからだそうだ。

www.tokyo-np.co.jp

私は上の記事にもある映画「太陽がほしい」をつくる市民の会の

支援やその報告を通じて

班さんが中国各地を探し訪ねて

その当事者から証言を聞くだけでなく

生活や医療行為を受けるための支援金を日本で募り

慰安婦に手渡す活動も行ってきたのだ。

日中双方の政治と行政からも冷たくされて

「売春婦」とか「日本軍協力者」というレッテルを貼られ、

名誉を回復されることなく世を去った人が多い。

班さんたちが支援金を手渡すことが出来たのは

80人だった。総額は2500万円にのぼり

延べ約800人の日本人たちが支援に参加した。

その最後の集会では

慰安所」に入れられた母・韋紹蘭さん(故人)と

 日本軍兵士との子として生まれ、

 戦後は差別を受けながら極貧の中で生きてきた

 桂林の羅善学さん(78)に、

 終のすみかを見つけたとの報告があった。

 「最後に残った日本軍の孤児にも、

  やっと落ち着いて暮らせる場を提供することができた」と班さん。

しかしまだ班さんのもとには、まだ

被害女性たちの未整理の証言が

1000時間もの映像として手元にあるからだ。

最後の集会では「暗闇の記憶(仮題)」という

最新作のドキュメンタリーの試写が行われたそうだが

「太陽がほしい」のときも

この膨大なる証言をいかに作品、というよりも

すべての人達が共有できる「記憶」にすればいいのか。

班さんはコロナ禍で仕事を失い

離婚し、ニューヨークで再出発しながらも

映画監督としての「緊張の日々」がつづくのだ。

苦しみながらも訴えたことをゴミにしないために。

www.youtube.com

www.labornetjp.org