好きで #戦争 に行ったわけではないから「でくのぼう」になった父親と #PTSD ( #日テレ #山形放送 #NNNドキュメント ))

沖縄では、あの壮絶なる地上戦を逃げ延びた人たちが

高齢化して過去の記憶に苦しめられる

PTSDという精神神経科領域の疾病に悩まされる事例が

たくさん出ているということを

過去のテレビ(TBSテレビだったか?)で見たことがある。

しかしそれだけではないことを

13日深夜に見たNNNドキュメント(日テレ・山形放送制作)で

知った。


f:id:shiraike:20230815210307j:image


f:id:shiraike:20230815210324j:image

「でくのぼう 戦争とPTSD

東京の武蔵村山市に自分の肉親が

戦争から引き揚げたあとに

その変わった表情などに悩まされた体験を語り合う場所がある。

この場を提供する代表の黒井秋夫さん(74歳・山形県鶴岡市出身)の

父・慶次郎さんは終戦(または敗戦)の翌年に

34歳で中国から故郷の山形に引き揚げた。

その2年後に秋夫さんが産まれたが

慶次郎さんは周囲から「でくのぼう」と呼ばれるほど

まともに仕事ができず

秋夫さんにとっても「役に立たない存在」だった。

ほとんどしゃべることもなかったそうだ。

1990年に77歳でこの世を去ったが

秋夫さんが8年前にアレン・ネルソンさんのドキュメンタリーを見たことで

考え方が変わった。

ベトナム戦争で壮絶なる体験で心の傷を負ったネルソンさんと

慶次郎さんと重なったのだ。

軍隊時代は精悍で勇ましさを手紙に残した慶次郎さんだったが

匪賊と呼ばれた中国軍(当時)ゲリラ部隊との戦いで

精神に異常を来たしたのだ。

軍隊のみならず罪のない民間人や女子供などを

ゲリラ扱いで虐殺したことが

ずっと記憶を支配し続けたのだ。

(2度目の召集では漢口爆撃に巻き込まれた。)

番組では同じ時期に入隊した

憲兵の土屋芳雄さん(1911~2001)の件も

過去のドキュメンタリーで振り返った。


f:id:shiraike:20230815210359j:image


f:id:shiraike:20230815210415j:image


f:id:shiraike:20230815210432j:image

慶次郎さんより1年早く同じ部隊に入った土屋さんは

上官の命令で中国人の捕虜を串刺し(刺突)を

行ったと証言し、その遺族に

土下座した謝ったという記録だ。

「虫すら殺せない(土屋さんが)

 刺突訓練によってまったく変わってしまった。」

「一般民衆だろうがなかろうが

 大隊長が『抗日軍だ』とあるいはこの集落がこういうのの巣だと

 指令を出したら逆らうことができない(中略)戦争とはそういうもの。」

(土屋さんの手記を遺した上山市在住の花烏賊康繁さんの証言、番組より。)

意に合わない殺害命令を受けて

罪のない人を殺した元日本兵の中には

復員しても家族のもとには帰れず

療養所や精神病院で人生の最期を迎える人たちが少なくなかった。

その当時の資料(病床日誌)は

国府陸軍病院(現・国立国際医療研究センター国府台病院)から

東金市の浅井病院に移されたが

そのカルテは8002人分におよぶ。


f:id:shiraike:20230815210506j:image

決して少数ではない。

実際には1万人も収容していたという。

「どうして言ってくれなかったんだ。」

いまの秋夫さんは同じ遺族たちと語り合うことと

次の世代に語り継ぐための活動を行っている。

この現実はいま

世界中のあちこちで起こっているはずである。

平和な日本であっても決して無視することは

出来ないはずだ。


f:id:shiraike:20230815210517j:image

shiraike.hatenablog.com

www.ntv.co.jp

www.bbc.com