嬉しかった。ほんとうに良かった。
でも「うっせえわ!」(外が)。
表現の不自由展・東京が昨年の延期から
ついに7年ぶりの開催となった。
ネットで予約を取り、きのう行ってきた。
開催初日の12時からの50分間。(コロナ対策のため)
会場は国立市市民芸術小ホールのギャラリー。
(会場へ向かうバス乗り場から復刻された旧・国立駅舎を撮る)
国立操車場行きの立川バスに乗って
会場に向かうとすでに12時を過ぎていたので
スタッフの方が親切に案内してくれた。
ただ、手荷物検査を通らなければならず、
係員の説明が右翼の妨害行為によって
聞こえないったらありゃしない。
思わず「うるさいですね」と話しかけたら
外国の方だった。
留学生なのだろうかきちんとした日本語で
「そうですね」と。
余計な言葉は挟まなかった。
階段を上って2階のギャラリーへ。
入ってすぐ左に安世鴻(アン・セホン)さんの
重重(ジュジュ)中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たちの
写真が大きなパネルで展示されていた。
本当に良かった。
あの新宿ニコンサロンの騒動と展示打ち切りによる
民事訴訟とあらゆる困難を越えて
本当の従軍慰安婦の姿を多くの人々に知ってもらえる機会を
つくることが出来たのだ。
そして右には山下菊二の《球乗りNO.1》と
大浦信行の《遠近を抱えて》の第1弾が展示されていた。
大浦については
広州(韓国)ビエンナーレ20周年特別展で
別の作品(セフォル五月)が「直接的な政治批評」で
展示拒否されたことで抗議文の端をろうそくで燃やして
それを作品に直接貼り付けたことから
言いがかりをつけられ、これが
あいちトリエンナーレで大騒動に発展したのだ。
そのもとの絵画を改めて見たが
天皇も私たちも同じ人間であることを
思い返すことが出来た。
燃えがらだと「ダメ」でガイコツだと「OK」と
いう根拠はどこにもないのだ。
こちらの写真は共同代表の方が記録映像だろうか
カメラスタッフの方とインタビューに応えているところで
ほんものの追悼碑は群馬県が撤去を決めたため
表現の自由の侵害だとして「追悼碑を守る会」が裁判を起こし
いま2審(高裁)まで進んでいるが原告の訴えが却下された。
白川は2017年に群馬県立近代美術館から出品を取り消された。
「係争中の事件に関連した作品」とされているが
係争を起こしたのは展覧会の当事者である群馬県なのだ。
そして最大のハイライトはキム・ソジョン+キム・ウンソンの
《平和の少女像》(正式名称は平和の碑といい、慰安婦像ではない。)
覚悟を決めて記念撮影をしてもらった。
とても笑顔を出すことが出来ない。
この像を「薄汚い」とボロクソにいうことは自由だ。
しかし、この作品こそが
戦争と性暴力を許せないというメッセージを
まっすぐに伝えていることが
この像の近くに接して一番にわかったことだった。
ウクライナ情勢の映像では悲しみをあらわにする人がいた。
その反面で生きていくことと戦うこと、
さらに命を救うことにまっしぐらになっている人の表情が
あまりにもこの像のように固くなっていたのを見た。
戦争とは人間として許されるすべての
「表現」を奪って壊していくものだと
改めてそう感じたのだ。
会場の中心ではプロジェクターでの映像、
イトー・ターリーさん(レズビアンを使うなと言われた)。
豊田直己さんの福島の記録写真など
多くの作品の出会いと再会を果たせてよかった。
あと、第1回では見なかった
趙延修(チョウ・ヨンス)の《償わなければならないこと》。
この説明文を読んで
私は先の千葉県知事選で
熊谷俊人に票を投じなくて
ほんとうに良かったと心から思った。
実行委員の皆さま、暴力行為に負けずに
5日まで完走できることをお祈り申し上げます。