シベリア抑留の記録とモンゴルに残ったソ連軍満州侵攻の跡( #テレ朝 #ABC #テレメンタリー #おざわゆき )

おととい都々逸教室のあとで

ちかくのBOOKOFFで、

おざわゆき著「凍りの掌(こおりのて)シベリア抑留記」

(小池書院)を見つけた。


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新聞などで紹介されていたことから

読みたかった1冊だった。

当時大学の予科生だったおざわさんのお父さんが

召集令状を受けて

加古川の部隊から満州北へ。

ソ連軍の攻撃から逃げて停戦命令を受けて

帰ることができると思ったら

シベリアのキヴダの収容所。

強制労働、マイナス40度にも及ぶ冬の厳寒、

突然洞穴に連れていかれて何をするのかと思えば

炭鉱の作業。栄養失調で凍傷で戦友が死んでいく。

その亡骸は硬い地面を掘って埋めるだけ。

「オレらはソ連に死んでもかまわんて使われとるんか

 オレらは白樺の飼料になりに来たんか」

おざわさんのお父さんは肺炎になったのを機に

ライチハの収容所に移り食事などの状況はよくなったが

「アクチブ」という共産主義を植え付けるソ連側の行動と

密告や裏切りにも悩まされ

ナホトカから帰国できたのが1946年の冬のこと。

抑留者たちはほかの復員兵と違って

捕虜とはみなされないとのことで

賠償金が出ない(日ソ共同宣言で互いの請求権を放棄した)ことや

「アカ」呼ばわりされて職を得るのに困難を極めたこと。

そしてシベリアに春が来て花が咲いたときには

花畑に寝転んで花をみんなで食べているところなど

この本で初めて得られたこともたくさんあった。

「友よ せめて せめて魂は 共に帰ろう」

戦争が終ればすぐに平和に戻るわけではない。

むしろその後にほんとうの苦難が待っている。

だから平和を護ることがなにより尊いもの。

もうひとつの「はだしのゲン」といってもよい

一冊だった。

www.bookbang.jp

そしてもうひとつ。

これもおとといの早朝に見た

テレ朝のテレメンタリー2023


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「国境に集結せよ モンゴルに残るソ連軍 満州侵攻の痕跡」

満州侵攻での前線基地としての建物や

塹壕の跡がいまだに残っていたという

調査レポだ。

なんとナチスドイツと直接戦った主力部隊(第6親衛戦車隊)とともに

大興安嶺という山脈を越えて

満州へと向かったという2016年に得られた旧ソ連兵の証言から

今年5月にモンゴルと中国の国境に近い

エルデネツァガーデン村で

その跡を目にすることが出来たのだ。


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その村の住民によると1945年の春にはここは

ソ連兵でいっぱいになり1953年までここに駐留して

住人達は北のほうに追いやられていたそうだ。

いまのロシアはその成功体験から

ウクライナ侵攻を試みたが

いまは泥沼の状況。

歴史に学ぶものは戦さではなく

平和への希求なのだ。

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