きょうは78回目の終戦記念日。
以前、千葉市に残っていた戦争遺構の
旧陸軍気球連隊の格納庫(戦後は川光倉庫)が解体されるというので
最後の公開に行ったことを
ブログで書いた。
いまは骨組みの一部が千葉公園に移設されて展示されているが
きのうのチバテレニュースでは
まだ千葉市内で知られざる戦争遺構が
あったことを伝えていた。
まず中央区椿森にあった
アパートの一部がレンガ造りになっていたが
これが旧鉄道連隊の炊事場と浴場だった建物を
戦後に転用されていたことがわかったのだ。
「残された貴重な歴史の足跡だというふうに考えています。
(千葉市が)軍都といわれながら何も残っていないという
思いが強くありました。その中で
鉄道連隊の建物の一部であっても残されていたことがわかって
当時の状況が理解できるようになったのが大変幸いな機会だったなあと
いうふうに思います。」
(千葉市近現代を知る会代表の市原徹さんのコメント)
残念ながら昨年末から所有する民間企業の都合で
解体工事がはじまり3月には姿を消してしまったので
貴重な映像となってしまった。
また千葉公園にあった体育館の
骨組みも戦争遺構だった。
1956年に県営体育館として建設されたが
戦後の財政難で下志津陸軍飛行学校の
飛行機の格納庫の骨組みを移設して
屋根にしたというのだ。
確かにあの気球連隊のかまぼこ型の屋根の骨組みにも
似ている。
1972年から千葉市に管理が移り現在に至る。
しかし建物の老朽化と同じ公園内に
新しい総合体育館(YohaS ARENA)が出来たことで
今年度中に解体される。
「軍事施設を平和施設に転用させて
非常にうまくいった例としては貴重な例。」(同・市原氏)
ならば骨組みの一部だけでも残してくれないかという
要望があるも
千葉市は昨年専門家から意見を聞いてはいるが
建築工学と工程上は特殊なものにはあたらないとして
いまのところ「特別な対応」はしない状況だと。
戦後78年を迎えて
戦争遺構が保存されることが困難になってきている。
しかし平和学習を地域でやっていくことを継続させるには
一つでも残せるものは残していくことが大切ではないのか。