「白梅学徒」中山きくさんの知らなかった足跡( #NHK )

沖縄旅行から帰ってきて

28日のNHKテレビで

九州沖縄地区で放送された

「THE LIFE 」で

中山きくさんのことをやっていたので

録画してきのうの夜に見た。


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甥の津波信一さん(タレント・俳優)が

きくさんが歩んだ人生を見つめるという構成になっていて

私が初めて知ったことは

終戦後の1946年(昭和21年)に

17歳で教員になったこと。


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「非常に穏やかで、そして全く自己主張しない

 みんなを包み込むような

 非常に包容力のある

 優しさがありました。」

(当時同僚だった上間敏子さん)

しかしその頃は、

きくさんは自らの戦争体験を語ることはなかった。

平穏な日常を過ごす中で

亡くなった学友とその家族に対する

罪悪感を背負い続けたのだ。

きくさんは2014年にこう語っていた。


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「亡くなった生徒のお母さんが

 私の子どもの頭をなでたり

 のぞきこんで

 『いくつ?』とか『何年生?』とか

 名前とか

 もうそれを見たらたまらないわけですよ。」

「『自分の娘も生きていればな』と

 お母さんの気持ちわかるから

 自分もお母さんになっているから

その後1975年(昭和50年)

公務員の夫の転勤で広島に。

きくさんは過ちを繰り返さぬと語り続ける

被爆者たちの姿を見たことで

広島長崎と沖縄との思いが重なり

語り伝える活動を

沖縄に戻ってから始めたのだった。


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「平和のバトンタッチです

 よろしくね。これから

 みんなで平和な国をつくってくださいね。」

きくさんは体験を語り伝えるだけでなく

感想を送ってくれた生徒たちとの

交流も大切にしたのだ。(電話も!)

「きくさんが本当に

 僕らに伝えたかったことは

 子どもを大切にしなさい

 親を大切にしなさい

 自分の周りの人を大切にしなさい

 それが結局

 ”戦争のない世の中をつくる一番の近道”

 ときくさんは伝えたかったのだろう。」

(18年前に大学のゼミ旅行で出会って

 家族ぐるみの交友関係を持つ

 安部暢一さんの証言。)

また広島で語り部としてのきくさんに影響を受けて

教員になったというエピソードもあった。

平和へのバトンを次の世代に渡していく。

これが来年も活発になってくれないと

困るのだが…。


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