映画館で2本立てを見るなんて
おそらく小学生の夏休み以来だと思う。
(1957年開館70周年を突破。映画館そのものが昭和遺産だ。)
見終えた感想は、やはり「家族」につきる。
約2時間の映像は前半が監督の実家から始まる
家族の歴史と戦後の在日コリアンの歴史のつながりをじっくり。
植民地支配から日本敗戦と南北分裂と
北朝鮮の帰国事業(監督の3人の兄はみな帰国した)。
そして兄たちの家族に仕送りを続ける母と
南の出身で朝鮮総連の活動家だった両親と
父の死後に日本人のパートナーを得た監督の現在と
母のアルツハイマーが進行していくなかで
整理しなければならないことと
遺さなければいけないことの交錯。
では、どこでスープが出てくるのか?
母が作るのは丸鶏の腹の中にニンニクや朝鮮人参をたっぷりと詰めて
はじめは強火で、その後はじっくりと弱火で。
スープをとった後の肉やニンニクも朝鮮人参も
クタっとなって柔らかくなっているので
一緒に食べられる。
かっては大ぜいで食卓を囲んでいたのが
いまではその機会さえ少なくなった。
手数をかけた家庭の味が残っていても
食べる家族がいない現在地をそのまま映している。
後半では済州島に家族3人で渡って
母の記憶と向かいあう旅を。
結婚を誓い合った男性がいた。1948年のこと、
武装勢力と韓国軍との衝突が罪のない民間人を
1万人以上も虐殺された「4・3事件」。
母の婚約者も殺されたが、慰霊の施設には
その名前がなかった。
これまで事件の記憶を語らなかった母が
わずかながら語ったのは
済州島から帰ったあとだった…。
昼食後に見た「FLEE」も
やはり「家族」だった。
主人公のアミンは少年時代、
ソ連の傀儡政権で父親が警察に連れ去られて以来生き別れ状態。
やがて家族全員が迫害から逃れてモスクワへ。
しかし、ソ連崩壊からの経済不況で
常に逮捕監禁送還の恐怖に怯えた。
そしてアミンは2度の脱出でデンマークに逃れ
先に逃げていた2人の姉と兄とスウェーデンで再会した。
いまのアミンは研究者として成功し
同性愛を家族に理解され、パートナーを得た。
だが言えなかったことがある。
「家族は殺されてしまって、みんないなくなった」。
それは密入国を手助けする業者と交わした
ウソをつく約束だったことを。(ネタバレですみません。)
いまでは旧統一教会に絡んで
家族の崩壊が問題化しているが
戦争と紛争は家族のささやかな幸せを壊す。
しかも、その傷は心に深く刺さり
表ではふさがっても
芯は残ったままで、だから歴史に遺すときは
その芯の深さまで見つめなければならない。
当事者の証言は貴重である。
しかし長い時間を経て向かいあわないと
真実は出てこない。それは
おいしいスープをつくるのなら
じっくりとその鍋の様子を見てあげなければ、
ということだ。
この2つの映画は
不確実な国際社会の変容の中で
本当に伝えなければいけない「弱者の歴史」を浮き彫りに
してくれたと思う。
なお、「スープとイデオロギー」の後半の一部と
「FLEE」はアニメーション化で
実写では難しい(主人公アミンは仮名)
リアルな戦争などの悲惨な現場の視点に迫っている。
今後もこの傾向は高まるに違いないと思った。
なお2本立て1300円は安い。
早稲田を控えた学生街ならではということか。