前川喜平さんの経歴

(6月10日のブログのつづき)

8日の講演会で文科事務次官だった

前川喜平さんの経歴がパンフレットと一緒に載っていたので、

改めて見てみた。

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家族から「あら、前川さんって奈良県の出身だったの?てっきり東京の人だと

思ったわ。」との声があったが、御所市の生まれで小学校4年の時に

東京に引っ越して、麻布中・高を経て東大卒業後に1979年文部省に。

1993年に官房政策課政策企画官として

中高一貫制の学校づくりの制度化にかかわり、

97~2005年まで上智大学の非常勤講師として

教育行政学を教える。この時のテキストで

「『教育を受ける権利』がなぜ保障されねばならないのか。それを説明するのは

『個人の尊厳』と『幸福追求権』を定めた憲法第13条である。」

教育基本法の改正問題で問われているのは、何よりもまず

『個人の尊厳』であり、そこから派生する国民の『自由権』なかんずく

 思想・良心の自由などの『内心の自由』の価値である。」

このころには第一次安倍内閣で、全く逆の発想で教育基本法

「改悪」が行われていたが、前川さんは全くの蚊帳の外に

置かれていたということになる。

実際、2006年には大臣官房総務課長として

同法改正に関して国会での審議が進められる中で

各方面に法案の説明や根回しなどの「楽しくない」仕事をやらされている。

ここから「面従腹背」が重くのしかかっていたと思われる。

2013年には初等中等教育局長として

沖縄・八重山地区の公民教科書の検定問題に際して

面従腹背で上に従いつつも、それらの目指す方向とは

違う形で」決着させた。具体的には教科書無償化措置法

の共同採択地域の郡縛りをなくして、

竹富町が独自に石垣市与那国町とは違う教科書採択を可能にさせたのだ。

article9.jp

2007年には大臣官房審議官として教員免許の更新講習に関して

当初30時間のうち必修時間を減らして選択を多くするとともに

講習の開設者を大学・教育委員会のみならず

一般社団法人・財団法人に拡大させて受ける教員の負担を軽減

を図ることに腐心する。(現在は必修6時間、選択必修6時間)

そして2016年文科事務次官として

義務教育機会確保法(議員立法)成立に役所の側から尽力するも、

その翌年に早稲田大学天下りをあっせんしていた行為を

見逃していた責任をとって辞任(再就職等規制違反)。

そして「読売新聞」の出会い系バー記事で

「自分を守ってくれるものはもういなくなった」。

そして加計学園疑惑に関する参考人招致での証言、

「あったことをなかったことにすることはできない」が社会的反響を

呼び、全国から講演依頼が殺到するようになった次第。

でも、前川さんがここまで多くの人を引き付けるのは

前述のとおり学ぶ権利はみんな憲法によって保障されていることを

キッパリと主張することと、長年面従腹背でそれでも

ブレずに自分の思いを仕事に活かしてきたこと。

そして夜間中学でのボランティア活動で

学びたい人々の思いを自分の心でしっかり掴んていることがあるかも

しれない。

bunshun.jp