#ぞうれっしゃがやってきた #松戸 コンサートの後日談として( #千葉 #松戸市 #東京新聞 )


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6月23日に参加した

東葛市民合唱団はるかぜコンサートの

ぞうれっしゃがやってきた」の後日談の記事が

きのうの東京新聞千葉面に大きく取り上げていた。

私は地域団員として合唱に参加したが

同じ参加者のなかにいた人に

永井菊子さん(80歳・江戸川区在住)と

姪の栁澤彩香さん(29歳・茨城県守谷市在住)がいた。

練習に初めて参加したときに

菊子さんは復活した「ぞうれっしゃ」に乗っていた方ですと

紹介していたが、詳しいことを聞きそびれていた。

記事によると

菊子さんは1990年の8月26日に

東京・品川から名古屋の

復活したぞうれっしゃに

当時9歳の次女と一緒に乗っていたそうだ。

この復活に動いたのが

菊子さんの姉夫婦である

栁澤明朗(あきら)さんと節子さんだった。(ともに故人)


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明朗さんは労働旬報社で編集長や社長を務め

節子さんは地元のコーラスグループに入っていたことから

合唱組曲である「ぞうれっしゃがやってきた」を知った。

これがきっかけになったという。

清香さんはお二人の孫で

祖父母に連れられて三つ下の妹さんと

よく合唱に参加していたが

中学校に入ると学校生活が忙しくなり

足が遠のいたそうだが

大人になってから偶然この歌のCDを見つけ、

聞いてみると子どもの頃に理解できなかった

胸の張り裂けそうな苦しみと苦労や

大人たちの覚悟や平和を願う思いが

真っすぐにぶつかってきて

涙が止まらなかったと。

そして「戦争はだめ」という子どもの真っすぐな気持ちが

大人たちを動かしたことが

ぞうれっしゃを走らせたのではないかと清香さん。

祖父の明朗さんは当時の湾岸戦争に心を痛め

自身も合唱に身を投じ

各地でぞうれっしゃのコンサートを根付かせ

広島・長崎・沖縄にも心を寄せていた。

清香さんは母親から

祖父は唄いながらいつも泣いていたと聞かされた。

そして、活動にのめり込んだ理由として

追い求めたメッセージと

合唱が重なったことで

活字で伝えきれなかったことが

歌ったときに見えたのではと推し量る。

ぞうれっしゃの物語を通じて

『人の心を慈しむ』ことを忘れないでほしいということと

これに関わる中で

やがて家族の会話の中に

戦争と平和の問題をみんなで考えるということを

「ややひろい視野で運動を捉えてみていくことに

 したいのです。」

と著書などで遺した明朗さん。

私はその話をまったく知らないままで

唄っていたが

ぞうれっしゃの出会いまでに

様々な人たちがこの曲を作った人々の思いに共感し

そこから戦争が世界中で続いている現実があるからこそ

誰もが知って参加できる「歌の輪」を広げていくこと。

これこそが理想だと思うのだが

まだまだこれからも大きくなってほしい。

来年は違った曲になると思うが

ぞうれっしゃの組曲はいまでも

大まかなところは忘れてはいない。

これからも日本のどこかで合唱の輪が広がってほしい。

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