こんなことをしたら
沖縄の人々の神経を逆なでするばかりなのに。
太平洋戦争の沖縄戦を指揮した日本軍第32軍の
牛島満司令官の辞世の句を、
陸上自衛隊がホームページ(HP)に掲載していた件である。
これまで私を含めて「知らなかった」人も多いはずだ。
今月になって琉球新報が報じてSNS上で拡散され(3日付・HPは4日に公開)
「第15旅団の前身である臨時第1混成群が、
昭和47(1972)年度に作成した部隊史を基にしたもの。
歴史的事実を示す資料として掲載する意図だった」と答え、
削除するつもりはないと回答した。
そこで第15旅団のHPのうちの「沿革」を見ると
前身の臨時第1混成群が沖縄の本土復帰後に
那覇駐屯地に移駐して
事実上の沖縄駐屯のスタートを切った時に
初代群長の桑江良逢1等陸佐が訓示をした時に
この辞世の句を最後に入れたということらしい。
しかし自衛隊はかっての日本軍とは違うはずである。
だが、桑江群長のみならず
当時から自衛隊は旧軍思想にどっぷりと漬かっていたということだが
米軍問題ばかりが取り上げられていた沖縄では
あまりにも問題視されず、
放置状態になっていたということか。
もちろん沖縄の歴史に詳しい識者からの批判の声が相次いだのは
言うまでもないが、
それ以上に問題視しなければならないことが起きた。
「沖縄作戦において日本軍が長期にわたり善戦敢闘し得た」と評価し、
幹部候補生の教育方針にしていたことが市民団体の情報公開で分かったのだ。
災害や医療などの輸送関係に貢献するよりも
台湾有事などでアメリカ軍などと連動して
本格的な戦闘行為を想定した訓練や
北朝鮮がミサイル「らしき」ものを発射したときの
迎撃行為の準備を常に「やらされる」ことが多くなった。
そんな現状の中で
沖縄戦の真実を知ることがマイナスになるということで
最後は戦闘指揮を放棄してガマ(壕)に逃げ込んで自害した
牛島総司令官をあたかも「軍神」として賛美しようということなのだろう。
しかし沖縄戦で「散華」した人間は誰もいないのだ。
ひめゆりや白梅などの女学生による学徒隊は
突然「軍の命令」によって解散させられ
島の南端まで追いつめられ最後は捕虜になり
または住民同士の「集団自決」が起こった。
名誉の戦死なんてあり得ないことが
沖縄戦で起きているのだ。
善戦敢闘なんて大ウソなのだ。
ちなみに1945年(昭和20)6月18日に
牛島総司令官は最後の命令をこのように出した。
「全軍将兵の三ヶ月にわたる勇戦敢闘により
遺憾なく軍の任務を遂行し得たるは同慶の至りなり
然れども今や刀折れ矢尽き軍の運命旦夕に迫る
既に部隊間の通信連絡杜絶せんとし軍司令官の指揮は至難となれり
爾今各部隊は各局地における生存者中の上級者之を指揮し
最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし。」
さらに映画「沖縄スパイ戦記」でも注目を集めた
「鉄血勤皇隊」を率いゲリラ戦を指揮する士官を任命し、
残りの部隊に小規模なゲリラ部隊が活動している
沖縄の北端の山々に向かうよう命じた。
牛島自身は本土決戦を信じて疑わなかった。
最後の指令にはそのために沖縄で時間稼ぎをするという
意味合いがあったのではないかと
孫で当時小学校教諭だった牛島貞満さんが
祖父の足跡を追った上で得た結論だった。(2019年)
すなわち「時間稼ぎ」だった沖縄戦は
決して善戦敢闘ではなかったのである。
でなければ75年前の失敗がまた繰り返すことになるだろう。
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— 沖縄タイムス (@theokinawatimes) 2024年6月6日