昨年のお話。
10月28日、サッカーを見た帰りに
南越谷駅に寄ったら(乗り換えで)
こんな幟(のぼり)があった。
いったいどういうことかとネット検索してみたら
この記事が。それによると、
どのルートでいくかと悩んでいた時に
駿河から関東に国替えをした後に
越谷で鷹狩りを何度も行って
ここが気に入ったらしいのと、
川沿い(古利根川など)の自然の堤防のような道でやったほうが
当時としては良かったということの
2つの理由があったからだということだ。
市内の瓦曽根にある照蓮院には
1591年(天正19年)に
家康が公布した寺領寄進の朱印状があり
そこには「越ヶ谷郷」と書かれていた場所が
街道がつくられた時に「越ヶ谷宿」となったらしいのだ。
野島にある浄山寺には
家康の鷹狩り装束姿の「公尊像」もあるということも
初めて知った。
これまで何度も大河ドラマの主役や脇役になってきた
家康だが、越谷とつながったのは
「どうする家康」が初めてだろう。
今度じっくりと歩いてみたい。
もっとも今ではこちら。
映画「翔んで埼玉」の新作映画とコラボした
埼玉県のエスカレーター条例の啓発ポスターを。
あのトンデモ条例は廃案になったが
いまでは別な意味で注目を集めている埼玉県である。
それからバスケットボールBリーグのチームが出来たり
地元出身力士の阿炎も優勝して全国的に有名になった。
越谷もいろいろである。