山口県上関町の使用済み核燃料「中間貯蔵施設」の件のつづき

中国電力がやると思ったら

関西電力と共同でやるとか言ったり

町長が前のめりかといえば

臨時議会に諮るとかいったり

その動向を見守りボーリング調査に着手するとかいったり


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山口県上関町の使用済み核燃料「中間貯蔵施設」問題は

何か怪しいやり方で実現へ向けて動いているようだ。


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中間貯蔵施設は上の写真でも(3日東京新聞朝刊1面より)

わかるように原発建設予定地を覆うかのように

建てられるようだ。

これだけの広さなら「ゴミ捨て放題」が可能になるし

リサイクル工場(ウランからプルトニウムに)の設置も

将来的に可能になるかもしれない。

さて、対岸に位置する祝島(いわいしま)の住民が

なぜ反対するのか?

海洋汚染や放射性物質の放出と拡散だけではない。

歴史と風景である。

この島は何もない島だった。

岩だらけの地盤を掘って掘って

生活ができる場所をつくった。

農業と漁業が一体になって島の歴史をつくり

さらに古代から瀬戸内海を航行する船が

危難にに瀕したときに、

祝島に向かって一心に祈ると、

島は霊光を発し行く先を照らしたという

言い伝えがある。

その風景のなかに

近代の人間が作り出した「竈」

すなわち原子力発電所や核のゴミ捨て場があることは

いかがなものか。

祝島も過疎が進んでいるという。

しかしそこで生きる人々は

自然界において人間は小さな小さなものでしかないと

知り尽くしている。

島にある風景はその島民が起こした「奇蹟」である。

その対極にあるのが原発と中間貯蔵施設だ。

その「安全神話」が終った時に

上関原発の計画のすべてが止まったのだ。

福島第一原発事故

人間の限界とそれを知らなかったという

愚かさをさらけ出したのだ。

もうこれ以上、日本の風景に

原子力を増やすことは

許されないはずである。


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(文章の一部は映画「祝の島」公式パンフレットを

 参考にしました。なお映画を見たのは

 2012年4月14日、纐纈あや監督から頂いた

 サインにありました。)


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(8月6日のサンデーモーニングより。)

www.tokyo-np.co.jp

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