日本の行政は時の政権の力で
自分のやったことを残している
文書や記録資料などを「半永久的に公開しない」ことを
当たり前のようにやっている。
「黒塗り」とかがそうですよね。
これではまともな「民主主義」が育むわけがない。
あのアメリカだって50年経てば
どんな公文書であっても公開されて
当時の歴史的事実に対する
正確な「検証」がちゃんと出来るシステムになっているのに。
上の記事は25日発売の日刊ゲンダイより。
当時の統一教会、いまの家庭連合(いずれも略称)が
文化庁から活動状況について
1998~2009年までに9回の聴取を受けたが
この時に会議資料や報告書を作成しなかったことが
わかったというから(共同通信・24日付)
もはや情報公開以前の話で
「なんのために聴取なんかしたの?」と聞いても
「わかりません」ということだ。
一応文化庁は記録を残すことに法的根拠がなく
「あくまでもケースバイケースだ」といってるが
この事実が明らかになった理由が
「(20)09年に元信者の70歳代女性が
その時の訴訟資料から判明したという」(記事より抜粋)。
また文化庁はこの訴訟を口実に聴取をやめたというから
疑惑が深まる。「無用の誤解を避けるため」と言ってるが、
行政と司法は立法(国会)とともに「三権分立」で成り立ってるはずだから
聴取をやめる理由はどこにもないのである。
そうでなくても聴取をやることが訴訟に影響をもたらすのだろうか?
まともな民主主義国家ならば
それは「ありえない」はずである。
同日発売の東京新聞社会面ではさらに詳しく
「口頭で行われていたため、会議資料は報告書は作成されていない」
と国側が言ってきたので、当時の担当職員から聞き取った内容を基に
訴訟資料をつくったとされていて
聴取は過去の訴訟(多数)への対応状況を聞いたもので
「適切な管理運営などを求めた」とされるが
結果的には「統一教会」はその名前で活動しづらくなったことで
いまの名前に替えたいといってきたのだから
聴取は何の意味もなかったことになる。
原告側弁護士も聴取の内容に疑念を感じ
「社会的な問題を多数引き起こしている団体に
行政が厳正に対応できるよう法整備してほしい」としているが
いまの公文書管理法にあらゆる行政上の「行為」を
文書として残さなくてもよいという
いまの日本のやり方は前代未聞といってもいいだろう。
ぜひとも国会でこの点についても論議を深めてほしいが
政権与党は統一教会と政治のかかわりについての報道に
陰に日向に圧力をかけており
家庭連合も「これまでのメディアの関係について調査する」と
ダブルで締め上げようとしている。
まさに旧統一教会に乗っ取られたニッポンをまともな国に戻すために
私たちはあらゆる行政に関する「落とし穴」を埋める作業を
徹底的にやるしかないのである。