鶴見線から浜川崎経由で川崎駅まで(6月24日)

(きのうのつづき)

横浜市鶴見区

おきなわ物産センターへ行ったあとに

足を延ばしてゴム通りを南下して

JR鶴見線の浅野駅まで歩いた。

近くにある踏切から先はJFE東日本の施設へと

つながる道だった。

浅野駅から鶴見線は大川・扇町へ向かう線路と

海芝浦へつながる線路の2方向に別れるが

日中ということで海芝浦行の電車は1時間に1本のみ。

あとは扇町方向に行く。(といっても2本のみ)

朝夕の通勤時間帯でなければ頻繁に走らないのだ。

(海芝浦方面のホーム。)

この駅から浜川崎行きに乗り終点まで。

浜川崎から南武線の支線に乗り換える。

乗り換えるときはいったん鶴見線の駅舎を出て

外に出て南武線のほうの駅舎に入らなければならない。

無人駅(浅野もそうだが)なので

SUICAカードはその都度機械に「タッチ」しなければいけない。

あと乗車駅証明書を発行する機械も久しぶりに見た。

電車に乗ってすぐに八丁畷で降りる。

素通りしたことがあるが途中下車したことがないからだ。

ここでもホームを降りてすぐに「タッチ」する機械があり

これを押さないと運賃が余計に取られますよと書いてあった。

言われた通りにやって階段を降りると

もう京急線の改札があった。

これで納得。この駅は京急の管理になっていたのだ。

自動改札機を通過すると「0円」の表示になり問題なし。

近くのコンビニで神奈川新聞を買って

川崎駅まで歩く。

途中で松尾芭蕉の句碑を見かけた。

「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」

あの奥の細道のいちばん最終のところで

1694(元禄7)年5月11日、深川の芭蕉庵を発ち、

故郷の伊賀上野に向かう途中に

川崎宿に立ち寄って

この句を詠み弟子たちとの別れを惜しんだそうだ。

大阪で亡くなったのはその年の10月、51歳だった。

近くの日進町の町内会館にはこの記念の看板があった。

まさか川崎で芭蕉に出会うとは思わなかった。

これまで千住(足立区)と草加(松原団地)と杉戸(東武動物公園)で

見かけてきたのだが。

そして市電通りを駅方向に曲がって地下街から

川崎駅に入った。(つづく)

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