「上野駅公園口」で見たノンフィクション

(この書き込みは3月に行った。

 公開がかなり遅れたことをお詫び申し上げます。)

 

雑踏から始まる。

その音は普通は聞こえない。

というより聞こうとしなければ聞こえない。

しかし、人生の最後に誰もが思いもよらない所に

身を置いたときにその全てを感じてしまう。

そして自分が確かに生きていたその時を思い返す。

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3月に常磐線の小高駅前の書店「フルハウス」で買った

柳美里上野駅公園口」を帰宅した日に(3月14日)一気読みした。

上野公園にいる一人のホームレスの男性のことが

物語の中心になっているが、

それがすべて福島県浜通りの戦後史にシンクロしている。

単行本として初出されたのは2014年。

彼の年齢は74歳。

終戦時は12歳、徴兵をまぬがれたが

故郷の八沢村(現・南相馬市鹿島区)の実家は畑に恵まれず

小名浜漁港の手伝いやホッキ貝漁などをやっても

家計は火の車で東京に出稼ぎへ。

これが1964年の東京オリンピックからの

高度経済成長期に重なる。

そのために結婚して子宝に恵まれても

福島で家族水入らずの時間はほとんどなかった。

第一原発はこの時代に1号炉が完成して稼働を開始したが

まったくそれと関係のないまま

長男との突然の死別、妻もまた同じことになり

ほんとうなら故郷で悠々自適を誰もが選ぶところを

あてもなく東京へ、そして上野公園へ。

 

これを読んだ人なら

どうして、なぜと思うだろうが

実は単行本のあとがきに

この小説は震災後に移住した

南相馬市の住民から聞き書きした実話に基づいて

創られたことが書いてある。

それだけではない、

震災前の2006年に

上野公園の「山狩り」を取材したことも

物語の土台になったと。

 

天皇皇后両陛下が上野にある

東京文化会館などの行事や国立科学博物館などを巡幸するときに

ホームレスを一時的に排除することを

「山狩り」。初めて知った。

完全に排除するのではないが

こんな理不尽なことをされては怒りの声や行動があっても

おかしくないのだが、

主人公には戦後まもなく昭和天皇が故郷に近い

原ノ町駅に下車したときの「熱狂」が記憶にある。

だから体がそれを受け入れてしまった。

私たちが当たり前に思うことが

成り立っているのはなぜかということを

この小説は掘りつくしている。

 

そして、なぜホームレスになったのか。

それは貧困だからというのは理由ではない。

激しく変化し続けた「昭和」と「平成」の時代に

ただ生き続けていくことばかりを押し付けられて

その歯車がかみ合わなくなったときに

「もう立ち止まりたい」

でも社会がそれを許してくれない。

だから自分から押し付けられた居場所のようなものを

離れていくしかない。

しかしそれは

ごく普通の幸せから離脱することであり

他の人達からみれば

異常呼ばわりされて

社会全体からの「排除」の対象にされてしまう。

(解説では関東学院大学教授で政治思想学者の原武史さんが

ホームレスは地域共同体から切り離された人であり

明治以降からいままで続く天皇制の権力が今なお消えない中で

天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという」勤めの

対象にもならないといえると記している。)

そうなることはわかっていてもホームレスを選んだ

主人公は、本当なら地域共同体と結びついた

「国民」になることを望んでいたはずだった。

しかし、生きるために地域から離れた生活を送り続けて

人生を振り返る時間を得たときに

本当の居場所を失った。

たとえ故郷に家があっても。

その居場所に当たり前のようにある

「家族」を突然失ったからだ。

この物語は何も特殊な話ではないはずだ。

 

柳美里さんは上野公園で取材したホームレスは東北出身者が多いことも知った。

そこで「山狩り」と「浜通り」の

時代に翻弄された人々のノンフィクションを繋げて

一つの物語をつくったと単行本のあとがきに。

難しい作業だったと思うが

これで私たちが深く時代に横たわる

「社会の分断」を直視することが出来る。

 

 

 

そして、「時は過ぎない」

表紙の直筆。

ストーリーにも出てきた。

いつまでいっても

事実が「過去」の思い出にならない人生の歴史。

それは私たちも知らない間に

積み重ねられる

忘れない、風化されない記憶だ。

 

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主人公が感じている「雑踏」は

自分が「分断」された

「市井の人々」そのものであり、

「流れない時の記憶」ではないか。

消えることのない記憶を抱え続けて

それでも生きること。

それはホームレスでもお金持ちでも

老いも若きも性別も関係なく

みんな同じ。だから無意味で感情的に

傷つけあうことはおかしいのではないのか。

 

隠された著者の強い訴えを読後に感じた。

 

この小説のラストには

南相馬市の沿岸を襲った大きな津波が出てくる。

主人公はまた肉親(孫娘とその愛犬)を失い、

再び居場所を失い、

上野駅公園口にいまでも

漂い続けているのではないか。

(もっとも切符を買ってホームに入ったシーンが

 真逆のイメージを感じさせるが・・・)

 

この小説はけっして作り物ではない、

いまでも終わらないドキュメンタリーなのだ。

 

柳美里さんはこの作品を発表した後も

「品川駅高輪口」も出し、

いま福島・夜ノ森を舞台にした新作を構想中だと聞く。

これからも買って読まなければと思う。

 

 

 

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【書評】居場所を失くしたすべての人に贈る魂の物語:柳美里著『JR上野駅公園口』 | nippon.com