千葉空襲と紙芝居と

千葉空襲に関する記事が

6月1日の東京新聞こちら特報部」に

大きく載っていた。

体験者の一人が紙芝居をつくったのだ。

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鳥飼道明さん(89歳・市内在住)。

終戦の年、13歳の時に2度目の「七夕空襲」で

右臀部(でんぶ)をB29から落下して炸裂した

爆弾の破片が突き刺し、

その後遺症にいまでも悩まされている。

 

市街地にある家から叔父と姉と海岸方面まで避難したにもかかわらず、

その上を爆撃機が飛んできた。

「バットでお尻を思いっきり殴られたような衝撃でした。」

刺さった破片は股関節まで達して

二度の手術でも取り切れなかったが

薬もない中で自然に傷口から浮き上がって

排出された。

しかし股関節の球状の骨が壊死して

再び手術。

麻酔のない中で5・6人の大人に体を押さえつけられ

「やめてくれ、助けてくれ」

いまでも叫び声が脳裏から消えない。

まるで生体実験のようだったと本人。

医師から寝たきりになると宣告されたが

独自で股関節を動かせるようにリハビリを重ねて

学校に復学し普通に仕事に就き

家族も築いたが、

60歳を過ぎてから古傷がうずきだし

これが歩行困難のもとになり

現在は杖と電動車いすが欠かせなくなった。

 

紙芝居のきっかけは

80歳を過ぎて集会に参加して

同世代が戦争体験を語る姿を偶然見かけて

自分はこのまま何を言わないでいいのかと

思うようになってから。

 

鳥飼さんは障害者手帳を紛失して(後で見つかるが)

千葉市に再申請した時に

「戦災による右股関節不全強直」のはずが

「戦災による」が消された新しい手帳を見て

「なぜ削ったのか」と詰め寄った時の

若い職員の困惑した表情が忘れられないと。

「戦争の悲劇を話さなければ、痛みは忘れ去られてしまう。」

そして、空襲被害者を救済する法律を早く成立することを

強く望んでいる。

「国が始めた戦争なのにおかしい。お金がほしいわけじゃない。

 同じ人間なのに、あまりにも不公平。

 私たちに残された少ない。

 ぜひ生きている間に成立させてほしい。」

鳥飼さんもいまは「千葉市空襲と戦争を語る会」のメンバーとして

千葉大医学生や市民に体験を語っている。

 

この記事には鳥飼さん以外に気になる事項があった。

厚労省は空襲被害者の援護について

昨年3月に援護法の国会議員連盟の総会で

「私どもの所掌からはみ出ている」と発言して

非難を浴びたと。これは初耳だ。

東京新聞が改めて取材しても

同じ意見の繰り返しで元軍人との差についても

「答える立場にない」と。

これではやる気がないのではとしか

いいようがない。

 

あの時の戦争は軍人のみならず

すべての国民が駆り出されて

多くの被害を負った。

なのに戦争に負けたから我慢しろと言われて

(戦争受忍論)

理不尽な目に合わされた人がたくさんいるはずだ。

それを掘り起こそうとしなければ

悲劇は再び生まれる。

いまの政府はそれを全く考えず

また台湾海峡など戦争の脅威を煽ろうとしている。

絶対に許してはいけないと同時に

空襲の歴史を語り伝えるために

出来ることを考え続けなければならない。

ピースフェア2019in千葉 - shiraike’s blog (hatenablog.com)

願い事、平和 短冊に込め 空襲ちなみ千葉市「七夕プロジェクト」:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

<つなぐ 戦後75年>「空襲終わったんだよ」 終戦の日、耳にした言葉忘れられず:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)