介護で「食べさせること」で冤罪が起きた問題

4月末に

入院生活から帰宅した家長(父・80歳)は、

最初は外へ出たいとか

出かけたいとか言って

家族全員を困らせていた。

しかし、栄養をまともに取れない、

食事をしてもまともに量をとれない

十分な栄養を取り切れないので

体力がつかず、何より体重そのものが増えない。

これでは長時間歩き続けるのは無理だ。

最近はそれがわかってきてか

デイサービスに週一回通いながら

外の空気に少しづつ触れていくことを

受け入れた。

 

7月の土用の丑の日には、

食べたいといった鰻重を

テイクアウトで取り寄せて

親子でおいしくいただいた。

これで食べて栄養をつけることに

前向きになってほしいと願った。

ただ、食欲ばかりは

劇的に向上したかといえば

全くそうはなっていない。

それはやむを得ないかもしれない。

しかし、最近はときどき

缶ビール(普通缶)を晩酌で飲むようになった。

少し余裕が出てきたのかもしれないし

決して悪いことではない。

 

さて、介護に携わった准看護師

おやつを食べさせた後に

その利用者の死に関する原因をもたらしたとして

業務上過失致死罪に問われた事件があった。

f:id:shiraike:20200803104801j:plain

東京新聞 8月3日特報面「本音のコラム」より)

長野の特別養護老人ホーム「あずみの里」事件である。

一審で長野地方裁判所准看護師の責任

誤嚥の可能性による注視を怠った)を認め

罰金刑を言い渡したが

弁護士団は検察が

訴因に矛盾があったことで控訴審では

「死因は誤嚥による窒息ではなくて脳梗塞と考える」

として東京高等裁判所(高裁)は

逆転無罪の判決を下したのだ。

上の写真にある、宮子あずささんのコラムにもある通り、

介護や看護のプロにとって

この裁判のゆくえは

今後の利用者の対応にかかわる問題だった。

 

例えば

この事件の判決次第で、

利用者に食事やおやつでの

「介助する」行為は

より慎重を期してやらなければいけないこと、

それは

「絶対に誤嚥させない物しか食べさせるな、飲ませるな」

ということになり

「少しでもリスクがあれば口から食べさせない。

 そうした萎縮が進みかねない」(宮子さんの文から)。

これが介護全体のマンパワー不足をさらに招き、

利用者の「生きていく力」を奪うことにも

なり兼ねないのだ。

 

「窒息の危険性を否定しきれる食品を

 想定するのは困難」とした上で

精神面を含めた、食の有用性を広く認めると

高裁判決の中に。

 

そうなのだ。

誤嚥というリスクをなくすと

最終的には「胃ろう」に行き着くなど

利用者の思いに反する行為を押し付けることになる。

それをなくすには

「食べさせる」ことを

本人の無理のないように

続けさせることが大事だ。

 

そして11日、東京高等検察庁(高検)は

上告を断念し、無罪判決は

確定したのである。

 

家族の間で

食事の世話をしていくのにも

今回の冤罪裁判は

決して無関係ではない。

 

食べたいものを

自由に与える(条件付きで)ことは

家族にとっても

介護に従事する関係者にとっても

共通の願いであり

それを困難にすることは

ますます認知症のハンデを

より重いものにしていくこと。

 

これでは生きていくことに

希望が持てない。

そうであっては

ならないのだから。

 

 

 

mainichi.jp

hachiro.sakura.ne.jp