犠牲者の名前を一人づつ読み上げるということ(シベリア抑留者)

先の戦争、およびその後の抑留で

犠牲にあった人の数の多さは

誰もが知っている。

しかし、知ることが出来るのは

そこまでなのだろうか?

f:id:shiraike:20200825230804j:plain

きのうの東京新聞特報面では

「Zoom」を利用して

シベリアに抑留された日本軍将兵のうち

身元が判明した46300人の氏名を

一人一人読み上げる追悼イベントを

行っていることを報じた。

その名簿は2014年に88歳で亡くなった

元抑留者の村上常雄さんが

1969年に墓参したときに

遺体埋葬跡の土饅頭を見て、

名前のない死者は人間としての存在を

否定さたままではないかと考え、

10年かけて作成された。

それを「シベリア抑留者支援・記録センター」が、

ユダヤ人がオランダ国営鉄道で強制収用された

追悼式典で一人一人の犠牲者の名前を

全て読み上げたのを

「ドキュメンタリー番組で見て知った」

(代表世話人・有光健氏)ことで

企画したとのこと。

私もこの番組を見た。

何時間、いや何日もかけて

犠牲者の家族や親族、そして

周囲の関係者が集い、

リレーをするように読み上げていく光景は

まさに、犠牲者が新たな意味で

その存在が蘇ってくるような感じがしたのを

覚えている。

その共感が新たな追悼の形を

作り上げたのだ。

これは発明に等しい。

 

 「読んでいる最中、

 現地で見てきたことなどが重なって

 心がうわーってなった。

 涙が出てきて、読むのに

 時間がかかった。」

 父親が抑留されて帰らぬ人となった

 千葉県浦安市の小林晃さん(81歳)。

現地へは3回も墓参し、このイベントでは

24日の午後に1時間かけて1000人の

名前を読み上げた。

実際の抑留者でなくても

身内の人々の思いをくみ取れる。

この「読み上げる」ことの意義が

とても大きいと思う。

 

戦争の記憶を風化させないため、

語り伝えをどうするかが

大きな問題になっている。

体験した人が亡くなることが多くなったからだ。

そこで新たな「語り部」を育てることも

各地で始められたが、

私たちが自ら慰霊碑などを訪ねて

その犠牲者の名前を

読み上げてみることなら出来る。

そこから戦争とは

何をもっと罪なのかを

考えることが出来れば。

機会があれば身近なところから

試してみたい。

これもまた「伝承」になる、

と信じて。

f:id:shiraike:20200720004645j:plain

(千葉空襲の祈念碑より)

www.tbs.co.jp

sdcpis.webnode.jp