映画「 #福田村事件 」をやっと見た( #関東大震災 #デマ #虐殺 #在日コリアン #在日朝鮮人 #在日韓国人 #香川県 )


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有給休暇をとった10月30日、

ついに映画「福田村事件」を見た。

公開は9月からで多くの反響を得ていたが

その中にはこんな批判があった。

田中麗奈が演じた澤田静子、

木竜麻生が演じた恩田楓、

コムアイが演じた島村咲江、

この3人が映画の重要な役どころに据えることには

当時の史実を見てもリアル感がなく

むしろ虐殺という事実にあがなうという役割を押し付けるのは

いかがなものかというものであった。

しかし、私は最後まで見て

この脚本と演出こそが

信じられない虐殺事件の本当の理由をあぶり出す

唯一の方法ではないかと感じた。

たしかにR-12指定になったのも仕方がないシーンもあったが、

突然の大地震から、なぜ「鮮人(在日コリアンまたは在日朝鮮・韓国人)」に

犯罪者まがいのレッテルが突然に突きつけられたのか。

それは1923年9月1日以前にそうなる要因があったのだ。

しかし、それを掘り起こすにはどうしたらよいか。

もちろん3・1事件や大正デモクラシーの流れに対する

当時の政府や軍部のホンネを事実関係を積み重ねて検証すれば

ノンフィクションの資料映像で事足りるかもしれない。

だが、これでは

「差別はやめましょう」でおしまいになる。

しかし、

福田村事件から100年たっても差別はなくならないままだ。

では100年たってもなくならない理由とはなにか。

それは「人間の業」ということではないかと

フィクションの劇映画というやり方で、しかも

前述の3人はそれを掘り起こすキーマンとなったのだ。

楓は新聞記者だが男性でも良かったかもしれない。

しかしピエール瀧演ずる社会部長の砂田は

彼女のことを「モガ(モダンガールの略)」と呼んだ。

当時新聞広告にも使われるほどの流行語だが

彼は女性蔑視とも思えるやり方で呼んだのだ。

静子は東出昌大演ずる岡持(渡し舟漕ぎ)の田中倉蔵が

朝鮮から帰ったということで

一度は鮮人(前述と同じ)と疑ったが、

なんで夫(井浦新演ずる智一)について福田村まで来たのかと聞いたら

銀座の若松のあんみつが食べたかったからだという言葉から

急に心の壁のようなものが消えたのか、

9月1日に倉蔵と離婚を前提に

家を出た静子が不貞の関係を結んだ。

そのときに大地震が襲う。

船で川の上にいたことで難を逃れた2人、

静子は別れるはずだった夫のもとに戻り

倉蔵は咲江とその夜に共同井戸で会い

「生きて良かった」と言い

利根川の水が波打ち船が木の葉のように揺れたとウソをついたが

咲江は頭から倉蔵に水をぶっかけた。

シベリアに出兵して死を遂げた夫に隠れて

倉蔵と関係をつくった咲江。

あの地震の後に

静子と倉蔵が船で交わったことを

川岸から見ていたのだ。そして静子の夫の智一も。

この3人が、

虐殺事件の犠牲者(香川からの行商団)の

すべての命を守るために体を張って止めようと、

そして鮮人たちを悪人扱いする

当時の世相に待ったをかけようとしながらも

それが出来なかった。

これをぜひ見てもらいたいのだ。

もうそれだけだ。

あんまり話をすると完全なネタバレになるから。

なお、以前ブログで書いた

荒川河川敷の「ほうせんかの家」や

亀戸事件に関連したストーリーも入ってますよ。

www.fukudamura1923.jp

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