コロナウイルスと「分断」と

緊急事態となれば

お互いにいたわり合い、助け合い

困っていることがあれば

声を掛け合って

足りないものを補いつつ、

心配を共有しあって

自分たちにいま出来ることは何だろうかと

考えながら少しずつでも

前へ進めていくのが

当たり前の姿だったはずだ。

阪神淡路大震災東日本大震災・熊本・大分や北海道の大地震

そして昨年の3度も直撃した

巨大台風の時もそうだったはずだ。

しかし今回の新型コロナウイルスの騒動は

まるで人間の最も悪くなる現象の

全てが出てしまっているのではないのか?

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きのうの東京新聞朝刊「こちら特報部」より。

新型コロナウイルスの感染拡大により、国民の間に

 不安感や閉塞感が広がっている。」

ウイルスが「見えない恐怖」として立ち向かっていかなければいけない

ことで、過剰な恐れや行き過ぎた行動が

新たな混乱や社会的な分断を招きかねないと。

いや、もうそうなっている。

スポーツ。文化的なイベントが中止順延に追い込まれた。

学校が休校になったことで

逆に放課後の学童保育などに負担がかかり

そして中国・韓国からの渡航者に

強制隔離をすることを決定したことが

いま最大の外交問題に発展している。

「鯛は頭から腐る」の格言どおり、

総理大臣の頭や心が腐っていれば

この問題を解決することが出来ないことが

よくわかる結果になった。

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しかもこの首相は

自ら招いた混乱劇で

「自助・共助・公助」のバランスを崩壊させ

多くの分断状態をつくってしまったのだ。

「先がわからない不安から自分の身を守ろうとした人も、

 いつ逆の立場になるのか分からず、

 結果的に自分の首を絞める。

 リスクゼロを過剰に求めた末に社会が分断され、

 危機的状況に対する社会の力を弱める。」

(ジャーナリストで専修大教授の武田徹氏・記事より)

政府の側からすれば

この問題で国民全体が「安倍やめろ」で

一致団結されるのを恐れて、

逆に緊急措置法の改正を提案することで、

一気に「改憲」のムードを盛り上げようとしているが

そんなことをやったところで

地域の防災力が強まるわけがないのだ。

「過剰な『自助』は『共助』の妨げに」

記事の見出しで書いてあったが、

私たちは改めて「自助」と「共助」の間に

何があるのかを考える必要があるのだ。

少なくても

自分だけ良ければいいという行動を慎むことと、

いまの自身にどんな備えが出来ているのかを

再確認すべきである。

普段から最小限の災害に対する

備えがあれば

トイレットペーパーを大量に買い込むことは

ないし、

得体の知れないネットに飛びつくことは

ないはずである。

そこをよく考え直してほしいのである。

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