精神障碍(がい)者の監視についての誤解

以前東京新聞特報面の「編集局南端日誌」の欄で

精神障碍(がい)者の行政による監視について取り上げたことを

このブログでも取り上げたが、28日の同欄では

この記事に関する反響で「精神障害者を野放しにし、

事件が起きてからでは遅い。何でも『差別』の言葉で片付けるのは

疑問だ」との声があったとして、同様に感じられた方は

少なくないのではと、記者(特報部長)はそう案じたそうだ。

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しかし数字からその実像に迫ってみると、精神の障害のみでは厚労省の統計で

全人口の約3%、さらに昨年度の犯罪白書による刑法犯の全検挙人数を

「その(障がい)疑いのある者」と併せた人数を割っても1.5%しかならないという。

しかもその疑いのある者とはあくまでも警察官の判断によるもので

厚労省の昨年度の衛生行政報告書ではうち54%が「診察の必要すらなし」と

されている。つまり1.5%も「盛った」数字で実際は1%台と推測できるという。

それなのに「野放しは危険」のイメージがついてしまう一つの理由として

犯罪を「殺人」と「放火」のみに特定すると、どちらも割合が10倍に跳ね上がる

ことからだという。

ただ殺人については被害者が「家族」という割合が約8割

(匿名の指定入院医療機関が調べたデータ)でこの数字は

いわゆる「通り魔」的事件を起こす人の割合が健常者と変わりない

数字だとのこと。また放火についても自殺目的で自宅に火をつける

ケースが多いということ。

これらの分析からみても「野放し論」は空虚に映ると結論づけているが

私はこの「野放し論」にいつも怒りを覚える。

精神状態が自分の自由にならない人間がどのようになるかは、

健常者から見ればよくわからないことが多いから不安を感じているようだが、

むしろその状態になっているからこそ他人どころか家族にまで

不安を感じても攻撃的衝動に至ることはないのである。

もしも攻撃的になるとしたらその理由は

向精神薬抗不安薬による副作用、もしくは

あの相模原やまゆり園事件の被告人のように

明らかに精神の障がいを装って、自分の欲望の思うがままに

他人への恐怖を与えて満足するケースなのだ。

(事実この被告人は精神鑑定でも何も問題なく刑事責任を問われている。)

しかし世間はなぜか精神がおかしくなればいつ誰かを殺したり

誰かの家に火をつけたりするのではと誤解してしまう。

それは誤った精神医療がまかり通る現実と、

それをよく知ろうとするどころか歪曲して喧伝する

専門家の存在がそうさせているとしか言いようがないのだ。

私も、この記事の最後に書いた行政の行き過ぎた障がい者の監視は

人権侵害だと思う。というより保健師の資格がありながら、

精神医療で一番大切なことは何かということが知らないと

いうこと自体がアンビリバボーだ。

もっと患者の立場になって話を聞いてほしい。

そして心に寄り添ってほしい。そんな当たり前のことが

なぜできないのか?それをやらないで監視を続ければ

健常者だって発狂する。当たり前のことである。

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