2022年「新年に誓う」ということで・・・

明けましておめでとうございます。

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今年の年賀状のイラストをテストプリントしたものを

写真に添付。

よく、新年の抱負とか誓いとか

何か立てなければいけなさそうだが

去年はまったくそういうことをせず

ただ挨拶のみで終わってしまった。

オリンピックも無観客で観戦できなかったということで。

shiraike.hatenablog.com

そこで今年は新年の誓いということを

やってみようと思う。

 

「いまそこにある危機に

 鈍感にならないこと。」

 

どういうことか、まずこちらを。

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27日の東京新聞特報面「本音のコラム」より。

あの武蔵野市住民投票条例案が市議会本会議で否決されたことについて

宮子あずささんが、

「外国人の住民が投票できる条例案が否決された」と

社会全体が受け止めたことに

マジョリティ(多数派)がこれから先のことをどう考えるかと

厳しい見方を示した。

「今後提出される条例がどのように変わり果てても、

 三十年この市に暮らす日本国籍の自分は

 住民投票の権利が与えられるだろう。

 無関心でいても、困らない。」

しかし、外国人住民はどうだろうか。

その当事者の立場に立てば

まったく違う境遇となる。

これに鈍感になってはならないということだ。

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なにもこの問題ばかりではない。

介護、子育て、被災者、障がい者など

いつ自分を含むマジョリティが

マイノリティ(少数派)になるかが

わからない世の中になってきている。

コロナ禍がまた増大するかわからない。

そして日本国憲法のゆくえ次第では

ふつうに民主主義を考えていても

マイノリティに叩き込まれるかもしれない。

 

社会的に辛い問題に向かい合うのは

誰もがいやがることだ。

だから意図的に「鈍感」になることで

自己防衛を図るのだ。

しかし鈍感になり過ぎることは

やがて自分自身を辛い境遇に持ち込むことに

なり兼ねない。

そうなる前に許せないことや

変えなければいけないことに

もっと敏感になろうと思う。

どこまでやれるかわからないが

出来るだけのことをしていきたいと思う。

 

今年の日刊でブログを書き続けます。

よろしくお願いいたします。

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