精神障害者支援のつもりが「監視されている」恐怖に

うつ病と共生している人間にとって無視できないことだ。

1月31日の東京新聞特報面の「編集局南端日誌」では

精神障害者とその支援者が集う会合を取材したときに

福岡県在住で女性の統合失調症の方が語っていた苦悩

のことだった。

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昨年冬に症状が悪化して半年間措置入院、退院直前に保健師が面会に来て

時々自宅へ訪ねてよいかと聞かれたので、お茶飲み話でもするのかと思って

承諾したら、最初はにこやかに対応するものの私生活や病状を一方的に質問し

メモをとる、それが40分も続き疲れを覚えるようになり、

それを緩和するために事前に質問の答えを紙に書いて来たときに

渡したら、逆に沈黙が続く気まずい状態になり症状が悪化するのを懸念して

この面談はいつまで続くのかと聞いたらやはり最低でも半年で、それ以外は上司

の判断で決めると言われた。

やっとのことで保健所での面談に変えてもらったが、障碍者団体の仲間から

断ることができると聞かされて断りの手紙を出すことができたという。

それまでの日々は「支援というより監視」だったと涙ぐんでいたという。

この面談の制度は2016年7月の相模原やまゆり園襲撃事件を受けて

ガイドラインを変更し「支援」を強化したというが、

この事件の被告の優生思想はこの会議の場で問われなかったという。

すなわち一旦統合失調症になれば自死のみならず、いつどこで

他人に危険を及ぼす行為をおこしかねないかわからないことを

重要視したことによるようだ。

しかしこの女性のいうように機械的かつ警察の取り調べのような

面談をされては症状の悪化はおろか本当に「ブチぎれて」

暴れる恐れがあるのではないか。人権を無視した行為でもある。

野田の女児虐待死事件では児童相談所が何度も対応して

一時は祖父宅に避難させることは出来たが、アンケート内容を

めぐって容疑者の父親が学校に怒鳴り込んだことで

教育委員会が屈服して被害者女児を自宅に戻したことで

取り返しのつかない悲劇がおきている。

ひょっとしたらこの父親は精神面で病んでいないのか

それこそ子育てのみならず精神医療の面からも

監視と治療が必要なのではないだろうか。

本来医療面でのアプローチが必要な人に手を差し伸べようと

せずに、これから立ち直ろうとする人の思いを無視して

過剰な監視を強化するのは行政面でもヒト・モノ・カネの

無駄遣いを招いているとしか思えない。

これも縦割り行政の弊害になっている。

そしてそれが人間らしく自分らしく生きようと立ち直る意欲を

もつ人たちの思いを台無しにしていることであるのだ。

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地方公共団体による精神障害者の退院後支援に関するガイドラインに対する質問に対する回答 厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課 

平成30年5月28日 (pdfファイル)

http://www.mhlw-houkatsucare-ikou.jp/link/guideline-aftersupport_faq.pdf